聖書研究

試練の中でも常に明るいパウロの姿勢から学ぶ

フィリピの信徒への手紙1章12節18節  文責 中川俊介

新共同訳には訳出されていませんが、ここには「さて」とか「次に」という用語が用いられており、12節からパウロは次の話題、つまり冒頭の挨拶の部分を終えて、手紙の実質的な内容に移ります。パウロは自分自身を手紙ではあまり語りません。手紙の目的は福音の宣教だからです。福音の宣教においては、人間の影は薄くなり、御子イエス・キリストが顕著になります。「しかしパウロは、自分の身に起こったことで、どのような希望と恐れが呼び起こされるかを、彼らに語る。」[1] そこでのパウロの関心事は一体何だったのでしょうか。それは、「キリスト教徒であることは、そもそも何の役に立つのか」[2]、と宣教に疑いを持つ人々がいたので、語らざるをえなかったのです。ここで、パウロは、エフェソ信徒たちに「兄弟たち」と親しみをもって呼び掛けています。ただ、パウロの語りかけの常として、優しい態度の時には厳しい内容を語ろうとしていると想像できます。鋭い語調によって、相手の心に壁をつくらないようにしているわけです。「これをすることによって、パウロは彼らの動機を残念に思っているが、彼らを拒絶しているのではないことを知らせている。」[3] これはわたしたちの日常生活において留意すべき点だと思います。

そこで、第一にパウロがエフェソ信徒たちに知ってほしいと願ったことは、自分に関する事柄が福音の前進におおいに役立ってきているという事でした。「この福音の前進という句は、旅行者の道をふさぐような障害や危険に直面しながらの前進を意味する。」[4] ですから、順調な前進ではないのです。考えてみると、パウロの投獄によって、福音宣教の働きに陰りが出たと考えた人々がいたのかも知れません。また、神はどうして彼を奇跡的に助け出さないのだろうと思ったことでしょう。しかし、そんな状況でもパウロは常にポジティブ(肯定的思考)です。「彼にこのような、世間の人とはちがった判断の基準を与えたのは、ほかならぬ福音である。」[5] つまり、単なる前向きな思考法とは違うのです。福音とは、悔い改めと同じで、価値観の方向転換を意味するからです。すると、死は命であり、困難は恵みだという事が理解できるでしょう。要するに、パウロはこれから述べることにおいて、フィリピの信徒たちが同じ価値観、同じ信仰観にたつことを切望しているのです。

13節には、何故パウロがそのように考えたかが記述してあります。つまり、パウロの投獄(複数形)の事です。詳しい状況はわかりませんが、ローマでのパウロの最初の2年間は牢獄ではなく住居を与えられたものだったようです。その間にも何回か投獄されて調べられたという経験があったことでしょう。そして、今回の投獄はいっそう厳重な拘束でした。「パウロの訴訟は長く緩慢な進行の後に、今明らかに危機的な段階に入っていた。」[6]使徒言行録の記事を見ますと、投獄は、「死刑や投獄」(使徒23:29、使徒26:31参照)という一つの常套句のように表現されています。また、投獄という言葉の語源は縛り上げるという意味です。ですから、かなり身体の自由を奪われた状態であり、死刑とも無関係ではない処罰をうけていたと考えてよいでしょう。普通の人なら絶望するような環境に置かれて、それでもパウロは肯定的です。何故なら、パウロによれば、パウロが何度も投獄されて、そのことがキリストのことで起こったという事が、皇帝の近衛兵団やその他の多くの人に明らかになったからです。

原語には、新共同訳にある「キリストのため」ではなく「キリストにおいて」と書いてあります。そこに読み取れるパウロの心情は、自分がキリストの中に生かされており、キリストの苦しみを自分も負っているし、投獄自体もパウロを通してキリストの栄光があらわされるためだという意識です。キリストにおいてという実感があったからこそ、苦しみをも喜びを持って福音の前進として受け止めることができたのではないでしょうか。これは今日のクリスチャン生活においても大切な事であり、わたしたちの苦難も「キリストにおいて」受け止められるときに、キリストの栄光をあらわすものとなるのです。確かに、パウロの願いはローマで福音を伝えることでした。それがこんな形になって、イエス・キリストと同じように犯罪者として自由を奪われたのですが、パウロは希望を失いません。「キリストにおいて」苦しむことを、むしろ喜んでいます。周囲の人々がパウロの投獄を不審に思うときこそ、キリストへの信仰が原因だというニュースが広まっていき、宣教の助けとなると考えたのです。城壁で囲まれた当時のローマ市内の規模は14平方キロぐらいだったと考えられていますから、縦横4キロぐらいの地域では、パウロの投獄とキリスト教信仰の事は、テレビや他のメディアがなくても周囲の人に伝わっていったことは容易に推測されます。それをパウロは良い事だと考えたのです。

14節で、パウロはローマ市内のキリスト教徒たちの様子を伝えます。この時に、「主にある兄弟たち」という表現を用いています。フィリピの信徒たちも兄弟であり、ローマでパウロの投獄を知っている人々も同じ主をあおぐ兄弟たちなのです。おそらく、パウロは遠隔地の兄弟間の相互理解を望んでいるのでしょう。そして、ローマの兄弟たちはパウロの度重なる投獄という試練において、「キリストにおいて」さらに確信を強め、さらに勇敢に、かつ恐れることなく、み言葉を語っているというのです。これはパウロの投獄によって生じた第二の利益でした。パウロもそれを喜んでいるようです。現代の教会でも、福音の宣教は牧師の専業職ではありません。教会において困難があればあるほど、「キリストにおいて」生きる一人一人の信者を通して福音は伝わっていきます。パウロが動けない身となった時に、パウロ以外の人々が危険をものともせず、福音を伝えていったのです。それは、その後の長い歴史の中で福音宣教の原型になったと思います。一人が迫害で斃れれば、それ以上の伝道者が立ち上げられたのです。これはイエス様と弟子たちとの関係と同じだったわけです。

15節から語調がすこし変わります。「ここでの言葉は、前節からは独立したものであり、ローマでの福音宣教の新しい状況を述べ伝える。」[7] おそらく、この辺が、パウロがどうしても伝えたいと思っていることに関係するのでしょう。ある人々は純真な気持ちで、善意によってキリストを宣べ伝えている一方で、人間的な観点から、パウロに対する妬みと争いによってそうしている人々がいるというのです。パウロの存在によって、自分たちの影響力が薄くなったと感じ、パウロを妬んでいた人々は、パウロの投獄をむしろ喜んだことでしょう。普通ならそのような邪悪な動機を持った人々を排除したり、活動禁止を命じたりしてしまうものです。ところがパウロは違いました。「しかし、これらすべての悪い計画は、パウロにはまったく影響がない。」[8]

16節には、さらに別の人々の事が書かれています。党派心や野心からキリストを宣べ伝えている人々もいるというのです。それは純真な動機からではなく、パウロの投獄に苦しみを加えようとしているという内容です。「ローマではパウロの到着するずっと以前から教会があり、その働きがあった。」[9] 彼らは、新参者でありながら、使徒であることを主張するパウロの事を快くは思っていなかったことでしょう。しかし、この16節には別の写本による訳があって、それによればパウロが福音の弁明のために召されているのを知って、愛の動機から行動している信徒がいたというのもあります。ここで用いられている愛という言葉は、勿論、ギリシア語のアガペーであり、無条件の愛という意味です。ただ、文脈から考えると、ここでは新共同訳とは違って、パウロを苦しめている人々がいることが書かれていると考えてよいのではないでしょうか。「パウロの反対者たちは、彼の活動によって、自分たちの影がうすくなることを不快に思い、彼の入獄を契機に、いわば失地回復を志したのであろう。」[10] 人間とは、彼らに限らず、「わたしの立場」というところから出発するものです。「彼らは、パウロを支えることを欲せず、むしろ自分たちの栄誉と自分たちの考えのために戦い、特殊なグループをこしらえ、パウロと並んで、またパウロに逆らって自己主張するために行動した。」[11] それとは対照的に、回心して福音を信じたあとのパウロを突き動かしたのは、「主の御心」であり、「キリストにおいて」でした。

17節には、パウロが福音の弁明のために召されているのを知って、愛の動機から活動している人々がいるとギリシア語本文には書かれています。この部分が16節に来るのかどうかは、わたしたちは専門家ではないので特に考える必要はないでしょう。それはともかく、同じ文言が繰り返されています。文の順番はどうであれ、パウロが言いたいことは、福音宣教に関して、純粋な愛と信仰心から行う者も、私的な理由で行う者もいたという事です。

パウロをとりまくそうした状況において、パウロは18節で自分の考えを述べています。その理由が見せかけであれ、真実であれ、キリストが公に宣布されていることを、今喜んでいると同時に、将来も喜ぶというのです。「パウロは、このような喜びを保ちつづけ、反対者の誰にも煩わされることがない。」[12] ここでは喜ぶという言葉が繰り返されています。フィリピ信徒への手紙の基調ともいえる考えです。「彼は悩ましい問題は無理に解決せずに放置し、励ましを受ける側面に集中する。」[13] これは信仰心なしには言えない事だと思います。「動機の如何にかかわらず、人間を用いて宣教に従事させる神の意思に、彼は個人的な感情を乗り越えて全的に信頼し、服従するのである。」[14] ですから、信仰心とは、「我かく信ず」という一見立派そうで、その実、自己意識の変形でしかないものではなく、「主語り、我従う」という僕の姿勢なのです。それも隷属的で卑屈な姿勢ではなく、喜びを持って救い主に仕える僕の姿です。それは聖霊の宮である教会のしるしです。しかし、教会史の中にはこの二つの考えが常に論争を引き起こしてきたと考える学者もいます。「聖霊によってのみ教会は、主がおられるところには苦しみはないとする態度から、苦しみのあるところに常に主がおられると信じる態度への奇跡的な転換を経験することができるのである。」[15] また、パウロのこうした考えが広められたからこそ、キリスト教は2千年の風雪を耐えて今日まで伝えられているのでしょう。

[1]  シュラッター、「新約聖書講解10」、新教出版社、1977年、9頁

[2]  クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、日本基督教団出版局、1988年、54頁

[3]  ホウソーン、「ピリピ人への手紙」、ワード社、1983年、34頁

[4]  マーチン、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、2008年、70頁

[5] 佐竹明、「ピリピ人への手紙」、新教出版社、1969年、43頁

[6] ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、1977年、88頁

[7]  ヴィンセント、「ピリピ人とピレモンへの手紙」、クラーク社、1897年、18頁

[8] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、74頁

[9]  前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、86頁

[10] 前掲、佐竹明、「ピリピ人への手紙」、51頁

[11]  シュラッター、「新約聖書講解10」、新教出版社、1977年、12頁

[12] 前掲、シュラッター、「新約聖書講解10」、12頁

[13] 前掲、ヴィンセント、「ピリピ人とピレモンへの手紙」、22頁

[14] 前掲、佐竹明、「ピリピ人への手紙」、49頁

[15]  前掲、クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、55頁

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