テノール歌手アンドレア・ボチェッリの信仰告白
「アンドレア・ボチェッリ・奇跡のテノール」という映画を見ました。彼には先天性の緑内障があり、もともと視力が弱かったのですが、子供の時にサッカーボールが目にあたって、完全に失明してしまいました。努力家の彼は、目の不自由な人に限定されたような仕事に就くことを嫌い、法学を学び弁護士資格をとりました。それでも、小さいころから唯一の心の慰めだった音楽を捨てきれず、声楽のレッスンを受けて、プロの歌手になりました。それからのことは、皆さんもご存知の通りです。彼のアルバムの総売り上げは2000万枚以上だそうです。ただ、この映画の最後のところで、彼の信仰告白が出てきます。若いころには、障害のために神の存在を疑った彼でしたが、大成して、人生を振り返った時にこの信仰告白がでてきたものと思われます。ご本人がイタリア語で語っているのが英訳されて画面に出てきます。イタリア語自体が理解できればベストですが、わたしの初歩的なイタリア語知識では、彼の語っている事と、英訳の文がほぼ同じことを言っていると理解できるにすぎません。しかし、問題は、日本語字幕でした。俳優のセリフなどの翻訳のレベルは高いと思いますが、ことキリスト教信仰に関しては、誤訳とまではいかなくても、せっかくのアンドレア・ボチェッリの意図が伝わらないものになっていました。そこで、彼の信仰告白の私訳をここに掲載させていただきます。
「愛するベロニカと愛する子供たちへ; すべての人生は語るに値する物語である。すべての人生は、芸術作品であるが、もしそのように見えないとしたら、たぶん、それを飾る部屋を明るくするだけでいいだろう。人生の秘訣は、信仰を失わないことであり、神が道を示すことによって啓示したもう我々へのご計画を、心から確信することである。もし、あなたが傾聴することを学ぶならば、それぞれの人生は、我々に愛を語っていることを発見するだろう。なぜなら、愛はすべての鍵であり、世界を動かす原動力だからだ。愛は、わたしが歌う譜面の裏に躍動する隠されたエネルギーである。また、この世に、偶然などという事はありえないということを忘れてはならない。そうした考えは、摂理を信じない傲慢な人間が考案した幻想にすぎず、摂理に基づく我々の世界に脈打つ真理を犠牲にしている。 アンドレア・ボチェッリ」
さすがに法学を学んだだけあって、彼の意見は疑似宗教者にみられるような感情論ではなく、「神は愛なり」という聖書の言葉を理性的に敷衍したものになっていました。そして、それは、彼自身が苦闘して学び取ったものなので、重みのある信仰告白になっています。初代教会が、迫害に抗して信仰告白を行ったのにも似ています。また、映画の中で彼は声楽の先生から、沈黙することを教えられていました。それが、愛に傾聴することだと思われます。