「お前なんて森喜朗と一緒だよ」という一言と、ダビデの反省
放送作家の鈴木おさむ氏が、ある時、妻から受けた叱責は、「お前なんて森喜朗と一緒だよ」でした。これはキツイですね。いまから、3千年くらいまえに、ダビデ王が預言者ナタンから受けた叱責のことが、旧約聖書に書かれています。ナタンはたとえ話をしました。「金持ちの男と、貧乏人の男がいました。金持ちの男は自分の家に来た客に食事をふるまう時に、自分の牛や羊を惜しみ、貧乏人が家族のように可愛がっていたたった一匹の子羊を取り上げて料理してしまった。」ダビデは言いました。「そんな無慈悲な事をした男は死罪だ。」ナタンは言いました、「その男は、あなたです。」この言葉は、ダビデにとってキツイ言葉でした。何故なら、ダビデは部下のウリアを激戦地に派兵して殺し、彼の妻のバテシバを奪ったからです。(サムエル記下12章参照)反省したダビデは詩編51編で、「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください、雪よりも白くなるように」、と祈っています。そして、このヒソプのことは新約聖書にも記載されています。「そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々はこのぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。」(ヨハネ福音書19章29節)ヒソプは贖罪のしるしでした。聖書を十分に理解してくると、そこに一貫した思想は、罪の清めであって、人間が頑張って道徳的に生きることではないことがわかります。「お前なんて森喜朗と一緒だよ」とは、わたしたち全員に向けられた言葉だと理解していいでしょう。そして、勿論、鈴木おさむ氏の妻も、例外的存在ではありえません。