幸せな人生の秘訣
「パットン大戦車軍団」という映画を見ました。戦闘場面が激烈だという映画ではありません。その中に登場する人々の人物描写に興味が持てました。なんでも、この映画製作の時に、登場人物の一人であるブラッドリー将軍本人が、その監修に加わったそうです。パットン将軍とブラッドリー将軍の違いは何だったのでしょうか。パットン将軍の家は、アメリカの南北戦争や独立戦争の英雄を祖先に持つ軍人一家でした。ブラッドリー将軍は貧しい家庭に育ち、苦労してウェストポイントまで進み、職業軍人になった人です。映画の中で、この二人の間に交わされた興味深いやりとりがありました。二人は、難しい作戦の是非を検討していました。パットン将軍はどんな犠牲を払っても作戦を遂行したいという立場でした。ブラッドリー(当時はパットンの部下)は同意できませんでした。その会話は、英語で聞いたので、字幕でどのように訳されているかは分かりません。ただ、ブラッドリーはパットン将軍にこのように言いました。「わたしは自分が訓練されたことを実行しているにすぎないが、あなたはそれ(戦闘)が好きなのだ。」そうして、後のノルマンディー上陸作戦などのヨーロッパ戦線では、好戦的なパットン将軍は、イギリスとの連合軍の指揮官に任命されたブラッドリー将軍の部下として、降格されてしまったのです。戦後は、自動車事故で頸椎を損傷して亡くなっています。映画を見る限り、パットン将軍は興味深い人物です。ブラッドリー将軍がスポーツ選手だったのにたいして、彼には文学的な素養がありました。ドイツ機甲部隊のロンメル将軍と闘った時にも、ロンメルの書いた戦車戦の本を既に読んでいました。また、古代の戦史についても詳しい知識を持っていました。一言でいえば、勇猛な戦いが好きだったのです。険しい山を登攀する者が死を恐れないように、彼は死を恐れず、戦闘の陣頭に立って指揮するのが常でした。他方、ブラッドリー将軍は、ドイツ軍の側からも、とても控えめな将軍だと言われるような人でした。この二人は、どちらにもすぐれた特徴がありました。ただ、決定的に違うのは、その人の人生の軸だったと思います。この軸を中心に人生が回っているのです。パットン将軍の軸は、戦争が好きでしょうがないという好みであり嗜好でした。ブラッドリー将軍は、自分に託された任務と責任感とが軸でした。聖書を見ると、パウロの軸も自分ではありませんでした。それは、主イエス・キリストへの従順と責任感でした。「わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それはゆだねられている務めなのです。」(コリント信徒への第一の手紙9章16節以下) 自分自身を、もはや中心軸としていないパウロは、幸せな人だったと思います。また、イエス様の前に現れたローマ軍の百人隊長が、「ただ、ひと言おっしゃってください」(マタイ福音書8章8節)と言ったのも同じです。彼は、権威の下に従うのが軍人の使命であるように、神の子イエス・キリストが命じたことに従います、と述べたわけです。彼の人生軸は、パウロと同じでした。そこで、イエス様は「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ福音書8章10節)と語りました。ですから、信仰とは、宗教的好みや嗜好ではありません。信仰とは、信じたり信じなかったり、という自分の側の選択ではないのです。それはまさにパットンの生き方でした。信仰とは、不思議なはたらきによって、人生軸が移されていることだと理解できます。わたしも、できればパウロや百人隊長のような生き方をしたいと願っています。こうした信仰が、幸せな人生の秘訣だからです。