印西インターネット教会

喜びも悲しみも隠そうとしない信仰者パウロの姿

フィリピの信徒への手紙2章25節30節  文責 中川俊介

「エパフロディトは、ピリピ人への手紙の持参人である。」[1] パウロは、自分自身がフィリピに行きたいと願いながら、当面のところ早急に弟子のエパフロディトを送りたいと考えていると25節に書いています。「パウロはこの文では過去形を用いているが、彼がエパフロディトをすでに帰路につかせていて、すでに彼のもとにはいなくなっていたたわけではない。これは書簡文に用いられた過去形で、手紙が先方に着くころにはエパフロディトに関することがらは過去の事柄になっていたことをしめす。」[2] だから、エパフロディトがこの手紙を届けた人だとわかるのです。また、彼がいなかったら、この貴重な手紙は歴史から消えていたかもしれません。いや、パウロは手紙を書こうと思わなかったかもしれません。フィリピの信徒への手紙が現存するのはエパフロディトのおかげだとも言えるでしょう。

このエパフロディトはパウロの同労者であり、戦友だと書かれています。「この言葉の意味することは、クリスチャンは福音を共に伝えるだけでなく、それに伴う苦難をもわかちあうということである。」[3] また、エパフロディトはパウロの窮乏のときに礼拝奉仕者として仕えてくれた使徒であるとしています。「パウロに贈り物を届けたエパフロディトは、そこにとどまりパウロを助けた。それゆえ『私の窮乏のときに仕えてくれた人』なのである。」[4] 彼を使徒としての位置づけるのは尋常なことではありません。ただ、フィリピの信徒たちも既に彼のことは知っているのに何故パウロはエパフロディトの資格について改めて述べるのでしょうか。「ここでは使徒である自分の所にエパフロディトが派遣されて来たのは、ピリピの人々の配慮による以上に、神の配慮によるとの、パウロの理解が反映しているのではなかろうか。」[5] つまり、彼は神の視点で物事を判断していたのだと考えられます。

しかしながら、これは理解の難しい部分です。特に使徒という表現は、12使徒とかパウロが自分自身の資格をあらわすときにのみ用いられています。であるとするならば、パウロは自分とイエス・キリストとの壁を感じることなく、もはや自分ではなくイエス・キリストが自分の中で働いていると言ったように、パウロの信仰観においては、このエパフロディトは使徒である自分とすべてを分かち合ってきた人物であり、まさに使徒とみなされておかしくないと信仰において考えたのでしょう。また、前述したようにパウロはエパフロディトをフィリピ教会の信徒たちに、自分の代理の使徒として推奨する必要を感じていました。それは、まだフィリピ教会の信徒たちの多くが、エパフロディトはパウロの下にとどまって獄中のパウロの世話をすべきだと考えていたからでしょう。しかし、パウロは彼を帰国させ、重要な名称まで用いてエパフロディトが敬意と喜びをもって迎え入れられるように配慮したのです。これも弟子たちに対するパウロの愛のしるしであると考えられます。この愛は無条件の愛ですから、それまでの規則やしきたりには縛られません。

26節で、パウロはエパフロディトがフィリピ教会の信徒たちすべてに切に会いたがっていると述べます。その理由は、フィリピ教会の信徒たちが彼の病気のことを伝え聞いて心配していたので、そのことをエパフロディトが悩んでいたのです。これはなかなか理解しにくいことですが、パピルスに書かれた2世紀ごろのある書簡には、遠方にあって病におかされた息子の事を心配する母親にたいして、「あなたが心配して悩んでいると聞くとわたしはさらに悩みと苦しみが増すので、どうぞ心配しないでください」と息子が書いているそうです。そうした心の優しさと先方の信仰の友に対する愛情にエパフロディトは満たされていたのでしょう。その他にも、「パウロはフィリピ教会の現状にいくらかの心配を抱いていた。」[6] だから、エパフロディトを帰国させた方が良いと判断したのです。

27節でパウロは彼の状況についてさらに説明します。エパフロディトは死ぬほどの病気になったというのです。しかし、神は彼を憐れんで下さり、パウロ自身をも憐れんでくださったと書いています。「エパフロディトの病気全快を自分に対する神の憐みと感じて、喜ぶことができたのである。」[7] エパフロディトが神の憐みを受けて病気から回復できたのはわかりますが、パウロが憐みを感じたのは、使徒職と関係があります(第一コリント7:25参照)。パウロは常に神の憐みによって伝道に遣わされていると感じていたのです。ですから単なる病気の快復だけではなく、そこに神のご意思を見たのでしょう。

また、この後で、悲しみに悲しみを重ねないですんだと書かれていますから、それはエパフロディトを病気で失う事を意味したものでしょう。しかし、悲しみに悲しみを重ねるとは、他に悲しみの原因があるわけで、それが何を指しているのかは不明です。それにしても、喜びに満たされて手紙を書いたパウロですが、悲しみも痛切に感じていたと書かれています。「パウロの自然さと率直な態度はすがすがしい。」[8] 「これは神のしもべに降りかかった絶望感を反映している。」[9] 信仰において、喜びも悲しみも何一つ隠されてはいません。それは十字架上のイエス様の絶望と同じものです。また、この場合の憐れむという言葉(エレオー)は、礼拝の式文にキリエ・エレイソン(主よ憐み給え)ととなえるエレイソンの同義語です。わたしたちの人生の歩みが、困難にあっても、祝福にあっても、神の憐みによって生かされ、神の使者としてこの世に派遣されていることを証しする言葉です。

そこでパウロは、できるだけ早くエパフロディトを送るつもりだと28節で述べます。それは、彼に会ってフィリピ教会の信徒たちが再び喜ぶためだとします。そして、パウロもそのことによって心配が少なくなるといいます。

29節では、パウロはフィリピ教会の信徒たちに、主にある最高の喜びと、深い敬意をもってエパフロディトを歓迎してくださいと勧めます。その背景を考えると、エパフロディトを好ましく思わず、指導者として認めなかった人々もいたからこそ、パウロがこのように奨励したのだと思います。「自分自身の努力は非常に意義あるものと考えるが、他人がおこなうとそれをいとも簡単に看過ごしてしまう、われわれの悪い心の傾向を彼は知っていた。」[10] ただ、そのフィリピ教会の背景については十分な資料がありません。「エパフロディトは新約聖書のこの箇所においてのみ知られている人物で、女神アフロディナにちなんで名付けられていることから判断して、おそらく異教からの改宗者であろう。彼はフィリピ教会の出身で、贈物を携えてパウロのもとに派遣されてきた。」[11] アフロディナはクリスチャンからは嫌悪されていた偶像神でしたが、それでもエパフロディトは改名されるように要求されなかったわけです。そこには、彼の強い信仰心に対する尊重があったのでしょう。また、すでにこの時代に、信仰が外面的な地位や名前、国籍などに影響されないという普遍性をもっていたことが推測されます。それにしても、ここでもパウロは、「主にあって」という言葉を忘れません。それこそ、初代教会の普遍性、共通性だったのです。それは現代でもかわりません。そんなこともあり、パウロは「主にあって」使徒としての全権をエパフロディトに与え、フィリピ教会にパウロの代理として、またパウロの中に働くキリストの代理として送ったのです。「信仰の問題を自分と神との間だけの問題としてとらえ、主に特別に用いられた人物の権威と働きとを十分積極的に認めようとしない個人主義は、ここで退けられる。」[12] この代理としての考え方は、現代の教会でも変わることはありません。

30節で、パウロはエパフロディトに関する状況を付け加えます。エパフロディトはフィリピ教会の不足を補うためと、パウロの働きを補うために、死の危険を冒すまで働いたというのです。それは伝道だけではなく生活全体にかかわることです。「パウロはその人がする仕事自身に制限をおかない。実際的な福音の伝道と、人格的な奉仕とは、もはや別々なものとして取り扱ってはいない。」[13] パウロの働きを熱心に支えたことがエパフロディトの病気の原因だったのかもしれません。それにしても、パウロは、そうした試練を経ていまや彼を補ってくれる者としてエパフロディトをフィリピ教会に送れるようになっていることを心から喜び、主に感謝しています。また、「パウロは、どんな形式であろうとも迫害を受けた者は、そのことによって権威づけられるべきだという原理を認証している。」[14] 歴史の中で、救い主イエス・キリストの働きは、このような苦難を負った代理者、補ってくれるものを次々と輩出していったのです。このいわば無名のエパフロディトはわたしたちのことかも知れません。もしそうであるならば、それはとても光栄なことだといえるでしょう。

[1] ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、1977年、207頁

[2] ホウソーン、「ピリピ人への手紙」、ワード社、1983年、115頁

[3] 前掲、ホウソーン、「ピリピ人への手紙」、116頁

[4] マーチン、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、2008年、135頁

[5] 佐竹明、「ピリピ人への手紙」、新教出版社、1969年、164頁

[6] インタープリターズバイブル、「第11巻」、アビンドン社、1978年、70頁

[7] 白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、白順社、1991年、119頁

[8] 前掲、ホウソーン、「ピリピ人への手紙」、118頁

[9] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、137頁

[10] 前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、211頁

[11]  クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、日本基督教団出版局、1988年、95頁

[12] 前掲、佐竹明、「ピリピ人への手紙」、172頁

[13]  前掲、白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、121頁

[14] 前掲、インタープリターズバイブル、「第11巻」、71頁

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