幸せな人生の秘訣 その2
もう40年以上前のことです。ハンナ・スミスという人が書いた「幸せな人生の秘訣」という本を読みました。そのころの自分は、「人生暗くてイヤだ‼」という状態でした。幸せの青い鳥を探していたのかもしれません。その頃は、東京大学の正門の近くにあった本郷ルーテル教会に通っていました。そして、そこのアメリカ人宣教師の先生に「幸せな人生の秘訣」は何ですかと尋ねてみました。その先生ご夫妻は、いつも幸せそうでした。だから、この人に聞いたら間違いないと思ったわけです。先生の夫人は、第二次世界大戦中に中国に行く途中で、日本軍に捕虜にされ、フィリピンの強制収容所に入れられていたのです。夫のハイランド先生の方は、忍耐強く夫人の帰国を待っていたそうです。そして、戦後、敵地だった日本に福音を伝えるために来たわけです。彼らには、外国人にみられがちな、日本人を見下したような態度はありませんでした。そして、終始穏やかで、温かい気持ちを伝えていました。どんな、答えが返ってくるかを期待していたわたしに語られた言葉は意外でした。「中川さん、それは毎日の悔い改めです。」わたしの最初の反応は、こんな偉い先生でも毎日悔い改めることがあるんだという驚きでした。そして、教会に通って、ルーテル教会の教理を学んでいくに従って、ハイランド先生が特別なのではなく、これは宗教改革の根本的な原理であることがわかったのです。自分の罪を認識し、悔い改めない限り、幸福のためのどんな方法論も無力です。それがわかったのです。世の中には、幸福のための宗教が数多くありますが、残念なことに、悔い改めがないために、マルクスが最も嫌った「民衆を騙すアヘン」のようなカルトになってしまっています。わたしがマルクス・レーニン主義者だったころに宗教が嫌いだったのはこの理由です。しかし、あとで分かったのは、マルクス・レーニン主義者でさえ、正義の使者ではありえず、悔い改めを必要としているのです。それがないから、独裁主義や党派闘争を生んでしまったのだと思います。では、聖書には何と書いてあるでしょうか。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ信徒への手紙3章10節以下参照)これを書いたパウロも、日々悔い改める人だったでしょう。パウロは、主イエス・キリストに出会って幸せな人生を歩んだ人でした。日本では、不幸そのものの境遇に置かれながら、やはり、幸せな人生を歩んだ座古愛子という人が有名です。わたしが尊敬していた本郷ルーテル教会の青年会の先輩であった故小川修先生がよく、「座古愛子」さんの話をしておられたのが懐かしく思い出されます。