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幽霊におびえる日本の政治家たち

全く笑止千万。首相公邸には税金を使って巨額の維持費がかかっているというのに、菅首相を始め、歴代の総理大臣も、2.26事件などの犠牲者の幽霊を恐れて入居しようとしなかったそうです。仏教でもキリスト教でも、幽霊は恐れません。つまり死を恐れないのです。人生で死ぬことは必定です。それを恐れる腰の抜けた弱輩を、日本では政治の頂点に置いているのです。馬鹿げた国家ではないでしょうか。こうした臆病者の指示を受けて暮らす国民は悲惨です。政党色は問題にせずとも、生死を分けた戦地から帰国して戦後政治の責を担った人々には、度胸がありました。死を恐れなかったからです。日本文化を自負する人々なら、「葉隠」など読んで、佐賀藩主が、お城の幽霊の噂などを豪胆に一蹴した話などから学んでみたらどうでしょうか。坊さんもそうですが、武士も死を恐れませんでした。コロナでも困っている時に、首相公邸が幽霊で「緊急事態宣言」では、外国からもバカにされるでしょう。こうした日本人の迷信深さは毒にも薬にもなりません。古代ヨーロッパでキリスト教が拡大していった際には、土着の人々が恐れる墓地や因縁の悪い場所に続々と教会をたてていったそうです。いわゆる悪魔払いです。キリスト教自体も数百年に及ぶ迫害と死を乗り越えて、復活信仰を伝えてきました。仏教だって輪廻の信仰があります。こうした弱腰の首相たちの来世は、ネズミでしょうか、ゴキブリでしょうか。宗教を信じない人にとっても幽霊の噂は、いわゆる「都市伝説」にすぎません。東京自体が東京大空襲や関東大震災で多数の死者を出した場所です。首相公邸だけではありません。広島はどうでしょうか。惨劇の場所を恐れるなら、広島市内は心やすく歩けない場所となってしまうでしょう。ひいては、この地上に人の死んだことのない場所などあるはずもありません。むしろ、政治家には、靖国神社でスタンドプレーするだけでなく、公邸で、2.26事件の犠牲者を鎮魂する覚悟を求めたいです。聖書にも幽霊の話はあります。それは、政権維持に不安になったサウル王が口寄せで、預言者サムエルの幽霊に会った話です(サムエル記上28章4節以下参照)そこを見ると分かりますが、サウル王の恐れの原因は、サムエルの幽霊でも、ペリシテ軍でもなく、神が彼を見放してしまったことでした。日本も、神に見放された国家とならないように祈りたいものです。幽霊などを恐れず、国民の先頭に立って命を捧げる政治家を起こしてほしいと思います。どうしても、こんな風にしか考えられないわたしの考えは、間違っているでしょうか。

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