聖書研究

パウロの自慢話の裏に隠された本音とは何か

フィリピの信徒への手紙3章1節11節 文責 中川俊介

1節でパウロは原文では最後の言葉をしるすと言います。「しかし、この場合はそうではない。多くの挿入された議論の後、パウロは4:8で改めてこの句を用いている。」[1] それにしても、パウロがここで繰り返すのは、フィリピの信徒への手紙の主題でもある「喜びなさい」です。「もし教会が痛みと悲しみに占領されるほど、それらに捕らえられるならば、教会は弱くなってしまう。」[2] ここでもパウロは、わたしの兄弟たちよという愛の呼び掛けを忘れません。そして、喜ぶのも理由なく喜ぶのではなく、「主にあって」喜びなさいと命じています。この世的な喜びではありません。「この世のいのちの流れは。ことごとく絶えず福音の流れに逆らっている。最も高尚な道徳や宗教もその例外ではない。」[3] だから福音的な事は絶えず繰り返して身につける必要があるとパウロは考えていました。そしてそれは、人生を確かなものにするといいます。これは説教の場合も同じです。この確かさとは新共同訳で安全と訳されていて、ギリシア語のアスファレースはスファロー(倒れる)の反意語ですから、パウロの願いは、フィリピ教会の信徒たちが過酷な試練の中でも倒れず、主にある喜びを忘れない事だったのです。

喜びを命じていたパウロの語調が突然変わります。2節でパウロは警告を発します。それも三重の警告です。第一は犬を警戒しなさいです。これは軽蔑の意味が込められた表現です。そしてユダヤ人にとって犬は、最も穢れた存在をしめす用語でした。それだけではありません。第二に、パウロは下劣な働き人を警戒しなさいとも言います。それは教会関係の働き人に違いないのですが、倫理的な意味で悪質という事です。つまり、人間の行いを重視して、救いに必要だとし、それが不完全なものを告発して教会を善人悪人の区分で分裂させていた者たちがいたのです。最後に第三として、切り刻み屋を警戒しなさいといいます。これは、新共同訳では「切り傷にすぎない割礼を持つ者」となっていますが、その意味は割礼至上主義者ということです。また、異教において身体を傷つける習慣があったことも示唆しています。キリスト教のフィリピ教会においても、まだまだ、ユダヤ教の習慣にこだわっていて、イエス・キリストの福音を理解していない者がいたわけです。「その当時ユダヤ教と『教会』は、後の時代ほどはっきりと完全に分離してはいなかった。」[4] わたしたちの日本の社会にはユダヤ教の影響はありませんが、しかし、教会において過去の習慣や人間的な規律を重視して教会を分裂させるうごきはよくみられるものです。それにしても、愛と喜びを説くパウロがこれほど排他的な表現をする理由とはいったい何でしょうか。「彼らの主張が、福音そのものを脅かす危険を持っていたからであろう。」[5]

3節でパウロは、その根拠を説明します。自分たちこそ神の霊によって割礼を受けて仕えるものであり、イエス・キリストにおいて誇りを持ち、肉においてより頼むことがないと言います。これは聖書にたびたび登場する霊と肉の対立という基本構図です。肉とは神から離れた人間の業であり、最高度の文明や最先端の技術をも含むものです。ちなみに、仕えるという言葉は礼拝するというのと同じ意味です。生きることが仕えることであり、礼拝することなのです。つまり、ここでパウロは個人的な排他主義を推奨しているのではありません。肉に依存するという人間主義的な信仰観を排除し、徹頭徹尾イエス・キリストの霊的な福音における喜びを失ってはいけないと教えているのです。それにしても、これは、この世との戦いが実に厳しいものだと感じさせられる部分です。わたしたちは、ともすれば、人間的な寛容から、すべてを受け入れやすいものですが、パウロはこの点においては妥協を許しません。「これは福音を破壊し、魂を危険にさらすことである。それゆえ、そのようなより所は拒否されなければならない。」[6]

4節でパウロは語調を和らげます。すべての事は、自己吟味を欠いては述べられないからです。驚くべきことに、パウロは「とはいっても自分も肉における自信を持っている」と言うのです。伝道の場では、外見がみばえしないパウロは人々から軽く見られがちでした。それにパウロは自分の事を吹聴もしませんでした。ただ福音一筋に歩んできたのです。しかし、ここでは論調を変えて、肉を主張する者と同じレベルに立ちます。「フィリピ教会における妨害者たちは、キリスト教のみならず、ユダヤ教をも歪曲して宣べていることを、パウロは知っていた。」[7] パウロは敢えて彼らの立場に自らを置いたのです。おそらく、その方が肉に生きる者に理解されやすいからでしょう。次元は違いますが、神の子であるイエス様が人の子として苦しみを負われたという受肉の思想に通じるものがあるように感じます。それはともかく、ここでパウロは、別の誰かが肉を誇りとしているなら、自分にはもっと誇りとするものがあると言います(第二コリント11:17以下参照)。

そして、5節では、その誇りの内容を列挙します。まず、イスラエル民族のベニヤミン部族に属し、8日目に割礼を受けた者だとします。パウロの出身はタルソスであってイスラエルから見れば外地ですが、それでも正しい習慣に基づいて正式に割礼を受けたことを述べています。これが旧約聖書の規定に従っていることは確かです。また、ベニヤミン族というのは、12部族の中でも特別な尊敬を受けた部族であり、サウル王の血筋であり、パウロ自身も改宗前の名前がサウルですので、おそらく、王家の家系に属するものというこの世的な誇りを表しているのではないでしょうか。また、ヘブライ語を使うユダヤ人だと言っています。ディアスポラと呼ばれて海外に散在していたユダヤ人の中には地元の社会に同化して、ヘブライ語も話せなくなったものも多かったと思いますが、その面では、おそらくフィリピ教会のユダヤ人やユダヤ主義者と違って、パウロは生粋のユダヤ人だったのです。これもまた自負すべきことだったのでしょう。

それだけではありません。5節から6節にかけて、パウロは自分が律法に従ってはファリサイ人、そして教会を熱心に迫害し、律法を守ることにおいては非難される点がないものだったといいます。「迫害の記憶はずっとパウロを悩ませ続けている。それでパウロは動詞の現在分詞を用いているのである。」[8] それは、逆に見れば自分の過ちを過去のものとしないパウロの誠実さのあらわれとも言えるでしょう。フィリピ教会の信徒たちも、ある程度はこのことを知っていたとは思いますが、手紙の中でこのようにはっきりと書かれると、彼らは何か空恐ろしい思いがしたに違いありません。パウロは過去においても、現在においても恐れを知らない人だったのです。迫害自体ではなく、パウロはその厳しさを誇りとしているのだと思います。フィリピ教会の中で、分裂を起こしている側に立っていた人たちはこれを改めて知らされて、沈黙せざるを得なかったでしょう。「もっと高い立場に立つと、この迫害によって、キリスト教はユダヤ教からも分離され、ローマの支配による保護も受けずに、全く神の力によって独立の道を歩みつづけることができた。」[9]

しかし、パウロの自慢は、ひとつの修辞法であって、実際にパウロはそれを信じていたわけではありません。そこで、7節ですべてを打ち消しています。ここにパウロの本心があるのです。家柄や、教育、社会的立場、過去の業績などは単なる肉の誇りであり、神の前の霊的な永遠性を持たないのです。「つまり、われわれは自己向上の道、宗教的な登り道を上がっているのではない。」[10] パウロの言いたいことは、以前は利得と思っていたこれらの事柄が、キリストのゆえに軽蔑すべき肉の結果と思うようになったというのです。他の翻訳では、「塵芥のようなもの」となっています。つまり、取るに足りないものだと悟ったのです。

パウロはそれだけで終わらせません。8節でさらに言葉を続けて、その他すべてをも「塵芥のようなもの」と思っていると言います。自分の主イエス・キリストの超越する体験的知識の故にそのように思うようになったのです。ここでの知識と言う言葉はギリシア語のグノーシスであり、新約聖書にもここにしか用いられてはいません。「パウロは先述のように、この言葉を反対者から借りた。」[11] それでパウロはフィリピの人々の用語を用いて自分の考えを伝えようとしたのでしょう。また、実際的な知識とは、ダマスコ途上で復活されたイエス・キリストに突然に出会ったことを示していると思われます。それは無条件の愛との出会いであり、神との出会いでした。ですから、パウロは続けて、主イエス・キリストの故にすべてを失ったが、キリストを獲得するために、それらを糞尿のように思っていると述べています。「クリスチャン生活は失うことにおける限りない獲得であり、貧困における言い尽くし得ない豊かさである。」[12]

9節では少し神学的な説明が登場します。自分の律法の義をもつことではなく、自分がキリストの中に見つけられ、信仰に基づいて、神からの義を、キリストの信仰を通して持つのだと述べます。前記の肉の問題と対比した霊の説明です。ここでは人間を中心とした世界観(肉)から、キリストへの信仰を通した神中心の世界観(霊)への転換が述べられています。それはパウロが自分で考え出したものではありません。8節にあるような、主イエス・キリストの超越する体験によって外側から啓示されたものです。その素晴らしさをパウロは伝えたいのです。ちなみに、ここでの「義」とは、神と共にあることであり、「義は、最後の審判における無罪宣告である。」[13] 「今や、イエスを信ずることの中に、彼の義がある。」[14]

10節には、その義の内容が書かれています。イエス・キリストを知り、その復活の力を体験し、その苦しみを共有し、その死の姿に変えられることです。ただ、ここで生じる疑問は語順に関してであり、イエス・キリストの苦しみと死、そして復活の力という順番ならわかりやすいと思います。しかし、パウロが死の姿を最後にあげているのは、キリストの死を自分の死として常に心に留めていたからでしょうか(第二コリント4:10参照)。神学的には復活日のあとに受苦日が置かれているのです。キリストの復活は人類の初穂であって、われわれの立場は受苦のキリストと一致すること、つまり、キリストが現存のわたしたちの試練と重荷を担って下さり、終末において復活に導いて下さることを信じるからです。

最後に11節では、パウロの独白のような表現になっています。手紙において相手に語りかけるのではなく、自分自身の覚悟のようなのです。パウロは、何とかして、死者の中からの復活の状態に到達したいと述べます。ここで不思議なのは、ここでの復活という言葉には10節の復活と少し違う言葉が用いられていて、正確に言うと「復活して外にでてくる」という意味になっています。そこにパウロはどんな気持ちを込めたのでしょうか。パウロは、自分の心境を赤裸々に吐露し、フィリピの信徒たちに肉的な根拠に依拠しない信仰者の姿を示しています。それはもう、教えや教訓ではなく信仰の証しになっています。たぶん、それをパウロはフィリピ教会の人々に伝えたかったのではないでしょうか。これは、大変な手紙だと思います。「パウロの中に生きておられるキリストが、パウロに書かせられたのである。」

[1] マーチン、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、2008年、140頁

[2] シュラッター、「新約聖書講解10」、新教出版社、1977年、36頁

[3] ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、1977年、217頁

[4] 前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、221頁

[5] 佐竹明、「ピリピ人への手紙」、新教出版社、1969年、183頁

[6] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、145頁

[7]  クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、日本基督教団出版局、1988年、104頁

[8] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、148頁

[9] 白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、白順社、1991年、138頁

[10] 前掲、クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、107頁

[11] 前掲、佐竹明、「ピリピ人への手紙」、200頁

[12] 前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、235頁

[13]「新聖書大辞典]、キリスト新聞社、1971年、363頁

[14]  前掲、シュラッター、「新約聖書講解10」、40頁

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