「キリストを知る」 ヨハネ4:5-26
パウロはキリストを知るという絶大な価値に比べたら、他の事は塵あくたやゴミのようなものにすぎないと言っています。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。」(フィリピ3:8)キリストを知らなかった若いころのパウロは、宗教には熱心で学問も優秀でした。キリストを知ってからはほかの事柄が、実は重要ではないものにすぎなかったと悟ったのです。では、このキリストを知るとは何か。それをパウロ自身が明らかにしています。「今や、キリストに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」(ローマ8:1)ここで、「結ばれる」とありますが、縛られているわけではありません。原語ではキリストの中にあるなら誰でも救われている、罪から解放されている、と述べているわけです。これは洗礼のことです。また教会のことです。教会こそ、イエス・キリストの体だからです。教会のメンバーとなっていることは、キリストの手足であって、まさに「キリストの中にあるなら誰でも救われている、罪から解放されている」ことを知るのです。英語でメンバーとは手足の事を意味します。コロナで集会には出られなくても、皆さんもはインターネットを通してキリストの体なる教会に結ばれているのです。
さて、福音書の日課に書いてある、イエス様が旅の途中で立ちよったシカルという町は、昔はシケルと呼ばれました。アブラハム、イサク、ヤコブというユダヤ人の先祖に深い関係のある場所です。ここにある井戸は30メートル以上ある深い井戸でヤコブの井戸と呼ばれていました。いまでも残っています。わたしも訪問したことがありますが、深すぎて底の方の水は見えません。
イエス様たちは故郷のナザレに近いガリラヤ地方で活動するために旅をしていました。そこでサマリア地方を通ったわけです。そこは山の多い地方です。ですから、イエス様も疲れて井戸の近くで座って休んだのでしょう。イエス様は救い主ですけど、スーパーヒーローでありません。わたしたちと同じように疲れたり悲しい思いを持ったりする方として聖書は描いています。しかし同時に、イエス様が示した救いということも確かなことなのです。ですから、わたしたちも、疲れたり、悩んだりするかも知れないけれども、救いというのは疲れたり悩んだりしない事ではないと、理解できる箇所です。
お昼ごろだったとあります。他の人たちは朝早く水を汲んでしまっている時間帯です。イスラエルは、日中は暑いからです。では、なぜ条件の悪い時にこの女性は水汲みに来たのでしょうか。イエス様にはすぐ理解できました。人間の行動には隠された動機があります。この女性は大勢の人が水汲みに来る朝を避けて、なるべく人に会わないでよい昼ごろに井戸に水汲みに来たのです。
水汲みには思い出があります。埼玉の実家の地域で、小学校4年生ぐらいの時に水道がひかれました。嬉しかったですね、蛇口から水がどんどん出て来るのが不思議でした。それまでは手押しポンプの共同井戸でした。やはり、「井戸端会議」という言葉があるくらいにそこには主婦が来て、米を研いだり野菜を洗ったり、洗濯したり、人がどうしても集まる場所でした。逆に考えれば、水道の普及によって、こうした共同社会の集会の場所はなくなって、便利だけど、個人主義の社会になったともいえるでしょう。イエス様の時代の井戸は、ですから、まさに、皆の井戸端会議の場所であり、噂話の場所であり、誰が正しくて誰が間違っているかを決める部落の裁判の場所でもあったでしょう。
ここに人目を避けてやってきた女性は、あまり評判の良い女性ではなかったのです。ユダヤ人は一般的にこの女性のようなサマリア人を蔑視して、話そうともしなかったのですが、ユダヤ人であるイエス様にはそういう外国人差別意識はありませんでした。イエス様は自分では井戸から水を汲めないので、水を分けてほしいと言いました。しかし、それだけではなかったのです。それは、イエス様がこの女性に本当の命の水を得るように教えるための会話だったのです。考えてみれば弟子たちは、そこにはいませんでしたが、旅のために革袋に入れた水は携帯していたと思います。ですから、水についての質問は、女性に人生そのものを考えさせるきっかけを作ったわけです。10節にある「生きた水」というのは、「神の救いの賜物」をあらわす言葉でした。そして、イエス様は、ヨハネの福音書にしか書いてない有名な言葉を語りました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く、しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。」(ヨハネ4:13以下)ここでの中心テーマは、イエス様のことを神様が遣わした救い主として知ることです。
そのあとで、この女性のこれまでの人生の歩みが明らかになります。イエス様はこの女性の家庭の複雑な事情を見抜くことが出来ました。それまでに5人の夫がいたが離婚したのか死別したのか、もうすでにいなくなり、現在は夫ではない男性と暮らしていました。そこには色々な悩みと苦しみがあった事が推察されます。おそらく部落の人々はこの女性を悪く思っていたでしょう。イエス様は逆ですね。「貧しい人は幸いである。悲しんでいる人、悩んでいる人は幸いである。」まさに、この教え通りです。悩みが解決するから幸いであると、イエス様は教えない。まさに、悩みの中、悲しみの中、人生の疲れの真っただ中で、にっちもさっちもいかない行き詰りの状況であっても、あるいは井戸端で疲れて腰かけていても、あなたは幸いである。だから、この女性にも幸いな人生を伝えたのだと思います。「わたしたちは四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望しない」(第二コリント4:8)、とパウロも同じことを述べています。
さて、それから、女性はユダヤ人とサマリア人の宗教観の違いに触れます。せっかくイエス様が命の水、つまり神の救いの賜物について教えても、彼女は礼拝所の違いを考えたのでしょう。確かに、シカルの近くにはゲリジム山という山があって、そこは古くからのサマリア人の礼拝場所でした。それは歴史的にみてエルサレムより古いわけです。「アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記12:6)サマリア人たちは、自分たちこそアブラハムの子孫だと思っていたのです。こういう例はあります。現代のエジプト人はアラブ人であって、エチオピアの方が古代エジプトの遺伝子を受け継いでいる。そこで、イエス様は、礼拝所は関係ないと言います。21節でイエス様は、わたしを信じなさいと語りました。つまり歴史や習慣ではなく、救い主を信じなさい、ということです。サマリアでも、エルサレムでもないところで霊と真理で礼拝する時が来る。女性はこれを聞くと、預言どおりに、メシアつまり救い主がきて、そうした神秘を解明してくれるはずだといいました。そのとき、イエス様は、ご自分がメシアであることを、こともあろうに、罪人で、女性で、サマリア人の、初対面のこの人に話されたのです。福音書はそれを暗黙に強調します。聖書でこの考えは一貫しています。最も蔑まされ、人々から期待されておらず、学問の専門家でもない人に救い主が啓示されたのです。ですから、わたしたちの立場もむしろ不利なのが良い。この女性はイエス様に出会ってその驚きは尊敬に変わり、尊敬は信仰となりました。この人は神の人に違いないと信じました。そして、イエス様が自分の渇いた人生を知っていたことにも驚いたのです。つまり、女性は救い主を知る前に、救い主によって知っていただいていたのだと、ヨハネの福音書は示しているわけです。ですから、パウロも同じでした。フィリピ3:8「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。」救い主を知るとは、義とされることです。「イエスは、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」(ローマ4:25)、ということを知るのが、大きな恵みです。義とは決して正しくないのに正しいと認定されることです。また、イエス様が教えた礼拝は、人を義とする十字架と復活の礼拝でした。信仰に立った霊と真理の礼拝によって義とされる。そこに生きる時、キリストの十字架と復活を知り、義とされている恵みとは、スーパーマンではなく、「わたしたちは四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望しない」(第二コリント4:8)、と確信して言えるようになることです。それは、何があってもキリストの中に生かしていただいていることを知っているからです。感謝です。