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シルクロードのアク・べシム遺跡では異なる宗教の人々が共存していた

最近読んだ記事にこう書いてありました。「アク・ベシムには、東西の民族に加えて、周辺には遊牧民も暮らしていました。また、仏教もキリスト教もゾロアスター教も存在しており、それぞれを信仰する人たちが一緒に暮らしていた痕跡も見つかっています。同じ土地に異なる民族が暮らせば争いが起こるものですが、彼らは土地利用の仕方が異なるために共存可能であった。」唐の時代に、中国の西方にあった城塞都市のようなアク・ベシム遺跡を、日本の帝京大学の考古学チームが発掘しました。特に興味深いのは、異教徒の共生です。随分まえのことですが、マルコ・ポーロの「東方見聞録」を読んでいて、彼が実際に見た異教徒の共生に驚いたことが書いてありました。それはキリスト教徒とイスラム教徒の共生でした。そして、その理由は奇跡によるものでした。マルコ・ポーロが地元の人から聞いた内容を要約すればこうなります。国内のキリスト教徒を嫌悪するイスラム教徒の王様(カリフ)が、キリスト教徒の村人に難題を持ちかけます。それは、マタイ福音書21章21節にに書いてある言葉でした。「信じて祈るならば、山をも動かせる」という事です。カリフは、これを信じるのか、とキリスト教の村長に聞いたのです。そして、そのように祈って見よと命じたのでした。そして、もし、山が動かなかったら、キリスト教徒はすべて国内から排除されるという事でした。困った村長さんは、村で尊敬されていた信仰深い靴屋さんに祈りを頼みました。そして、指定された場所で、指定された時に靴屋さんが祈ったら、本当に山が動いたそうです。(おそらく地震による土砂崩れでしょう。)それにしても、日蓮上人の龍ノ口法難のときの奇跡のようなことが、実際に起こったわけです。それ以来、カリフはキリスト教信仰に畏敬の念を持ち、キリスト教徒の迫害を禁じたので、平和共存が実現したのです。わたしも、イラク戦争の時の映像に、イラク民群衆の中に修道服を着たキリスト教徒が混じって映っていたので、不思議に思ったことがありました。マルコ・ポーロは13世紀の人物ですが、それから800年以上にわたって異なった宗教の者が共存してきたことは驚きです。しかし、タリバンのような極端な人々は、キリスト教徒のみならず、同じイスラム教徒でも教派が違う人々を敵視しています。また、何か奇跡が必要でしょう。この問題は、宗教だけの事ではなく、社会全体、あるいは家庭という小集団のなかでも、異分子とみなされたものを温かく受け入れるすべを学ぶ必要を提起しています。(いじめの心理はタリバンの排他主義と同じです。)イエス・キリストは、それを「善きサマリア人」の譬えで教えました(ルカ福音書10章25節以下参照)。

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