閑話休題

マイホームとは「お帰りなさい」と言ってくれる人がいる場所

コロナで外出も難しい昨今です。しかし、たまに外出して家に帰ってくると、ホッとします。そのホッとする感覚は、どこからくるのでしょうか。以前住んでいた、八王子教会の近くに行くと、昔に感じたホッとする気持ちがよみがえります。しかし、そこには、自分の帰りを心配してくれる家族はもういません。だから、本当にはホッとすることもなく、郷愁だけがのこります。このホッする気持ちは、わたしだけが感じるのではなく、世界共通のようです。「グリーン グリーン グラス オブ ホーム」というアメリカの曲があります。これは、死刑執行が近い囚人の心境を歌ったものです。彼が、ホームの事を考えるとやはり、心にホッとする慰めを感じるのです。それは、懐かしい建物が残っているだけでなく、自分の帰宅を喜んで迎えてくれる人がいるからです。それが、帰るべきマイホームではないでしょうか。旧約聖書に登場する、アブラハムは故郷を離れて遠い国に移住しましたが、彼は天にあるマイホームを求めていた様です。新約聖書にもイエス・キリストが語ったマイホームのことが書かれています。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」(新共同訳、ヨハネ福音書14章23節)ただ、このような訳では、マイホームの実感はわいてきません。RSVにある英語訳ではどうでしょうか。「If a man loves me, he will keep my words, and my Father will love him, and we will come to him and make our home with him.」前半は日本語訳と同じです。しかし、後半では、単に一緒に住むのではなく、ホームを作る、と書いてあるではないですか。何で違うのでしょうか。それは、英語訳の方がギリシア語原典に忠実だからです。原語では、「一緒に住む」ではなく、「住まいを作る」と書いてありますから、まさにホームなのです。いまさら聖書協会を批判しても無意味ですが、大切な用語は大切に訳してほしかったですね。絶対愛の救い主が作ってくれるホームだからこそ、この世で、荒れすさび傷ついた心も、ホッできるのではないでしょうか。アブラハムが天の故郷を求めたように、わたしたちの人生の旅路も、その究極には、自分の帰りを待っていてくれる方がおられるホームがあるかどうかがカギとなります。同じことが、宣教師ザビエルが日本に来て、鹿児島で仏教の高僧と対談した時の記録に残されています。ザビエルは船旅を例にとり、長い航海の終わりに、ホームとなる港を持たない船は幽霊船になってしまうから、天の神のもとに帰りなさいと諭したのでした。「お帰りなさい」と言ってくれる方を持つことは何と幸せでしょうか。そう思いませんか。

 

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