「西部戦線異状なし」という映画を見ました。そういえば、中学生のころに、単行本の「西部戦線異状なし」を読んだ記憶があります。その当時は、野戦病院での恋愛物語のような印象しかありませんでした。しかし、あれから色々な人生経験を積んでこの映画を見たら、反戦的な色彩が濃い映画だと思いました。いままで深く考えたことがなかったのですが、この映画の背景となる第一次世界大戦は、軍人だけでなく民間人もまきこんだ死傷者数が数千万人に及ぶ悲惨な出来事でした。それまでの戦争と違って、飛行機、戦車、重機関銃などの大量破壊兵器がこの時から用いられました。映画の中で、鉄条網を越えて侵入してくる敵に手榴弾をなげたところ、体は微塵もなく吹き飛ばされ、鉄条網を握った手だけが残された映像が衝撃的でした。実は、第二次世界大戦を経験した人々も、手記を残しています。戦争の貴重な記録だと思います。その中で、海軍の戦艦に乗っていた人が米軍機の攻撃を受けた時の体験をなまななしく記録していました。甲板上では敵機を撃墜するために、機銃掃射を担当している兵士がいたわけです。しかし、敵機の爆弾により下半身を吹き飛ばされた兵士がまるでコマのように、甲板上を苦しがって回っていたというのです。どこか、鉄条網に残っていた両手と似ていました。映画の初めの場面では、ドイツの優秀な学生たちが、熱狂的な愛国主義の教授に扇動され、軍に志願していきます。その時の青年たちは、敵との勇敢な戦いを、まるで英雄の叙事詩のように考え、自己陶酔していきます。ただ、彼らが前線に送られて見た現実とは、英雄叙事詩のようなものではなく、塹壕の中で、食料もなく、爆撃に怯え、白兵戦で次々と戦友が斃れていく残酷なものでした。青年の一人が、休暇で帰った時に、かつて彼らを扇動した教授を罵倒する場面がありました。戦争の美化が粉砕された瞬間でした。それにしても、旧約聖書では、ある面で戦争が美化され、聖戦のように描かれているのも事実です。ところが、イエス・キリストは、完璧な平和主義者でした。ゲッセマネの園で、イエス様を逮捕するために来た役人たちに、ペトロが刀を抜いて戦おうとした時に、「剣をさやに納めなさい。剣をとるものは皆、剣で滅びる」、とイエス様は語ったのです。それは、それまで旧約聖書に含まれていた戦争美化の世俗思想を否定し、神は愛であることだけを結晶化したものでした。戦争の現実を知れば知るほど、イエス・キリストの教えが正しかったと分かってくるでしょう。