閑話休題

菊川ルーテル教会で礼拝説教と講演会をします(6月27日)

菊川というのは東海道線沿線にある町で、江戸時代から栄えたお茶の産地で、気候が日本一温暖であることで知られています。菊川教会の人々も、勿論、温和です(笑)。朝の10時半の礼拝の後には、ルターが提唱した全信徒祭司制というテーマについて講演をします。考えてみれば、日本でもそうですが、中世の厳しい階級制度のなかで、祭司という特権階級を否定したのですから、時代を超先取りしていたとしか言えません。祭司の特権と言えば、中学の歴史の時間に学んだ「カノッサの屈辱」を思いだします。これは11世紀の事ですが、ローマ王がローマ法王の権威に屈服し、雪の中で3日間も断食と祈りをささげたというのです。しかし、ルターは、宗教が持つ世俗的権威に疑問を持っていました。現代でも、新興宗教などをみますと、指導者が世俗的権威をもって君臨しています。それを、可能にしてしまうのも、権威に弱い人間性があるからでしょう。なにせ、カノッサ事件から500年近くたったルターの時代でも、ローマ法王の権威は超絶対的でしたが、それに聖書の権威をもって対抗したルターには、敬服するしかありません。そのルターが、宗教改革を進めていくうえで、全信徒が祭司であると唱えたのは当然の帰結でしょう。ルターは、イエス・キリストと同じように、この世の者はすべて平等であるという信念を持っていたのです。それは、神が、貧しい人も富んだ人も、健康な人も病む人も、強い人も弱い人も、有名な人も無名な人も、すべて同等に愛して下さるという確信からきたものです。また、神の愛に呼応して、神に仕えていくことも特別なことではなく、すべての人の義務です。いまでもそうですが、福音の伝道は、祭司や牧師のような特定の職業に従事した人がすべきだと思っている人が数多くいます。その面では、ルターの全信徒祭司制は、まだ未完の理念であるようです。宗教改革から500年以上たった現代に、この宿題を解いていくのは、ほかでもなくコロナ禍で悩む我々でしかありません。ルターの時代にも黒死病がありヨーロッパの人口が半減するようなこともありました。それでも、彼らは死を恐れず、福音を伝えていったのです。わたしたちも、ルターの教えから勇気をいただいて、困難な時代に、多くの人に喜びと勇気をあたえる福音を伝えていきたいものです。この印西ルーテル教会のブログを見ていてくださる方が、菊川教会から比較的近くに住んでおられるなら、ぜひ礼拝と講演会においで下さい。教会では、コロナ感染防止対策をして集会しています。教会の住所:菊川市本所1200 詳しくは、そこの担当者である横田先生(0537-73-0285)にお問い合わせください。(自分の教会でも講演会を行いたいという希望がある方は、お問い合わせメールでご連絡ください。)

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