パウロの持っていた喜びは一過性のものではなく持続可能なものだった
フィリピの信徒への手紙4章15節 –20節 文責 中川俊介
パウロは15節で改めてフィリピの人々よと呼びかけます。そして、最初の福音宣教で、パウロがマケドニアから出て行った時、物のやり取りで協力したのはフィリピの人々だけだったと言います。この「物のやり取り」という表現にはギリシア語の商業用語が用いられています。前述したように、パウロは相手方に理解しやすいような表現を用いています。「パウロは、自分はピリピの人々に福音を与え、いわばその代償として、彼らから物質的援助をうけたと考える。」[1] また、ここで述べられているマケドニアとはローマの行政区の一つですが、文脈からみると特にフィリピのことを意味していたのでしょう。「ピリピは、パウロがヨーロッパに足をふみこんで最初に伝道をした町であった。」[2] それ以前のパウロはエフェソなど小アジアの教会の責任を負っていたのです。その後の活動で、ほかにも伝道地はあったはずですが、小ローマとも呼ばれたフィリピに住んでいた信徒たちは、その裕福な環境とは裏腹に経済的な困窮にあったにもかかわらず、パウロへの支援を忘れませんでした。パウロもローマでの伝道を目標にしていましたので、フィリピはその前哨戦とも考えたことでしょう。そのことをパウロは手紙の終わりに改めて感謝しています。「この部分は別の独立した感謝の手紙であると主張する説もあった。」[3] それは、フィリピ教会からの支援の事に関して、パウロが重複して宣べているからです。しかし、内容的には重複ではなく、同じことを更に深く神学的に説明しているように思われます。
16節にそのことがさらに詳しく書いてありますが、パウロがフィリピから100キロ以上離れたテサロニケにいた時も、一度ならず何度にもわたって経済援助をしてくれたというのです。つまり、前の部分では書かれていなかった援助に対するお礼が述べられているわけです。ただ、詳しく見ると、「わたしの窮乏のために送ってくれた」と書いてあります。新共同訳では「物を」となっていますが、原語では金品のことです。
ところが17節では、逆に、パウロは贈物を熱心に求めているのではないと言います。むしろ、あなた方の貸し勘定を増大させるためにパウロは熱心に求めていると言いました。「自分の求めているものは贈物ではなく、そこから産み出される果実、すなわちそこからの利益であり、その利益は信徒たちの預金口座に振り込まれるものであることを、わからせようとする。」[4] この貸し勘定には「実」という意味もありますが、それはなんでしょうか。神に対する貢献度ではないでしょうか。「パウロと同時代のラビのユダヤ教では、各人は神の前でその生前の功績、罪責を秤にかけてはかられ、そのいずれが重いかに従って、死後の運命を定められると考えられた。」[5] 人間の業や業績に対する否定的な考えを強く持っていたパウロが、何故このような功績主義的な表現をしたのでしょうか。学者によっては、これを最後の審判での判断材料とします。ただ、一ついえることは、この贈物の貢献について、パウロはそれをフィリピ信徒とパウロとの間だけのこととはせず、神が与えた実りであり、同時に、また当然にも、神に還元されるべきささげものとして理解していることです。簡単にいうなら、神から神への循環です。
18節でパウロはさらに述べます。わたしはすべてを受け取って豊かであり、さらに、エパフロデトからあなた方の香ばしいささげものを受け取って満ち足りています、と繰り返します。「ここには言い古された『非常に』ということばではなく、更に強いことばが用いられている。」[6] それだけではありません、それが神に喜ばれる香り高い犠牲(いけにえ)だというのです。「パウロは、自分を『満ち足らせた』贈物が本来神にささげられたものであるという強い確信を持っていた。」[7] ですから、ここでパウロは金銭的な支援の問題を、純粋な神学的な問題として扱います。それを、神殿で捧げられる犠牲、ひいてはイエス・キリストの犠牲に重ね合わせているということです。つまりここに礼拝の神学が示されているのです。「教会の宣教の働き全体、および各々の信徒の生活が、最終的には礼拝という観点から理解されるべきであることに気づかされる。」[8] み言葉を聞き、祈り、十字架の犠牲による贖罪を受け、讃美し、自己を捧げ、祝福を受けるという、礼拝の根幹は、礼拝堂の中だけでなく、日々の生活のなかに本来あるべきものなのです。日々が礼拝です(ローマ12:1参照)。ですから、単なる支援にみえるものが、パウロにあっては救いにあずかる礼拝的要素として理解されたのです。この事を知らされたフィリピ教会の信徒たちの喜びは大きかったことでしょう。
19節でパウロはフィリピ信徒に対して、わたしの神は、キリスト・イエスにある栄光の富に従って、あなた方のすべての必要を目一杯に満たしてくださるでしょうと言います。「人間の必要は、この神の源から十分以上に満たされるのである。」[9] これは、支援者にたいしてお礼を言うどころか、あなた方が支援を受けますよというのに等しいことです。ここでのパウロの思考は一体何なのでしょうか。功績に対する神のご褒美を述べているのでしょうか。それでは、ユダヤ教の時代と同じではないでしょうか。人間の功績は評価されないはずなのに、どうして、パウロはこのようにして感謝をあらわしたのでしょうか。
その秘密は20節にあります。パウロの言いたいことはこれです。「ここでの思想は、神のすべての善と恵みを認め、感謝して、神を賛美することである。」[10] 人間賛美ではないのです。功績称賛でもないのです。最終的には、わたしたちの父なる神に栄光が永遠から永遠にありますように、という祈りです。「この祈りによって、パウロと集会とは霊的にいよいよキリストと一つに結びつけられる。彼はここで最後、最大の祈りを祈ることができたのである。」[11] それだけではありません。「ここで『わたしの神』という句には特別な意味が込められている。パウロは、自分からは負債を支払うことができないが、彼はそれを自分が僕として仕えている神に委ねる。」[12] ここで神と、救い主と、パウロが一体となっています。また、「永遠とは長い時間であり、年代であり、循環である。この神への頌栄で、継続の期間は循環の連鎖として認識されている。」[13] つまり、その頌栄の循環がわたしたちの時代にも回ってきているということなのです。
そして締めくくりは、アーメンです。これほどの帰結があるでしょうか。一時的には、フィリピ信徒たちの貢献を感謝し、彼らの行為を賞賛しているようですが、実はそうした人間関係にとどまらず、フィリピ信徒たちとパウロをキリストの体(教会)に一致させ、福音の伝道の働きを見守っておられる父なる神への賛歌として帰結させているのです。なんという結論でしょうか。この聖なる教会における一致と一体化があるからこそ、いつも喜びを持つことが可能なのです。そしてそれは、パウロの中に働くイエス・キリストの喜びなのです。そしてこれは、パウロと教会を共にするわたしたちが覚えるべき人生の喜びと感謝でもあったのです。最後のアーメンは、勿論、礼拝用語であり、ヘブライ語で確かであるとか堅固であるという意味を持っています。この神が与える教会の土台の上にわたしたちの喜びの信仰生活が形成されるのです。「成熟したキリスト者の生活を形造る完全性は、私たちの完全な愛と行動を神の召しに置くことにある。」[14]
[1] 佐竹明、「ピリピ人への手紙」、新教出版社、1969年、282頁
[2] 前掲、佐竹明、「ピリピ人への手紙」、281頁
[3] クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、日本基督教団出版局、1988年、131頁
[4] 前掲、クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、133頁
[5] 前掲、佐竹明、「ピリピ人への手紙」、283頁
[6] ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、1977年、331頁
[7] 前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、336頁
[8] 前掲、クラドック、「フィリピの信徒への手紙」、137頁
[9] マーチン、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、2008年、186頁
[10] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、187頁
[11] 白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、白順社、1991年、211頁
[12] インタープリターズバイブル、「第11巻」、アビンドン社、1978年、127頁
[13] ヴィンセント、「ピリピ人とピレモンへの手紙」、クラーク社、1897年、152頁
[14] シュラッター、「新約聖書講解10」、新教出版社、1977年、46頁