聖書研究

使徒言行録から聖霊の働きを学び、困難に負けない人生を歩む

使徒言行録1章   文責 中川俊介

今回からは、初代教会の証しともいえる使徒言行録から学んでいきたいと思います。宗教はともすれば抽象概念に終始しやすいものですが、使徒言行録には机上論理を抜きにした信仰者の体験談が満ちていて興味を抱かせるものです。それは、歴史上における聖霊の働きの記録ともいえるでしょう、

使徒言行録の著者は、ルカ福音書の著者であるルカだと言われています。そこで、1節には、ルカが記した第一巻、すなわちルカ福音書のことが述べられているわけです。一冊の本を何巻かに分けて、そこに序文を付けるのは当時の習慣だったようです。それは「第一の報告を忘れないようにさせるためでもある。イエスの言葉と行為を理解した者は、それが彼の使者たちの奉仕を通して、どのように前進して行ったか、さらにもっと聞きたいという、強い、しかも当然な要求をもっている。」[1] ルカ福音書は御存知のように、弱い立場にある者、不利な条件に置かれている者に対して優しい神の支えと理解の光をあてていることで有名です。ですから、この新しい巻である使徒言行録でもそのような記述が期待できることと思います。ちなみに、ここに名前が出てくる「テオフィロ」(神に愛された者)とはかなり地位の高いローマの官吏だったようです。「テオピロという一人の貴族も、イエスの福音を知るために熱心に心を寄せ、パウロやその随行者に保護と好意を示したものと推察される。パウロに同行してローマに滞在していたルカは、このテオピロにささげるために、ルカ伝と使徒行伝の二つを著述したのであった。」[2] この方法は、ユダヤ人の伝統的なやり方ではなかったようですが、「これは、ギリシャやローマの人々のやり方で、のちのちまでも、その流れを汲む人々の間で行われてきました。」[3] 特定の指導的な立場にいる人に信仰の教義を伝えて、人々を感化する方法は当時としてはとても有効だったのでしょう。日本に来た宣教師ザビエルもこの方法をとりました。その点では、日本に来たプロテスタントの宣教師が旧武士階級に教えを伝えたのは、少し的外れだったかもしれません。武士階級は零落していて、社会的な影響力や指導力を失っていたからです。さて、ルカの時代の手紙類は、パウロの手紙などと同様に集会で回覧されたり、朗読されるものでもありました。「おそらく集会においてこの書物が朗読されることをさえ顧慮して、序言と結びを用意したことは明らかである。」[4]

ここで、ルカは過去を振り返って福音書を書いた目的を明らかにします。1節から3節に述べられているのは、イエス様の活動、教え、聖霊による弟子の選び、苦難、復活、そしてその証し、神の国のことなどです。けれども、40日間、イエス様が弟子たちと過ごしたという記事はここに初めて出てきます。40という数の特殊性を考えさせられる部分です。孔子も論語で「四十にして不惑」と述べています。聖書では、出エジプトの40年、シナイ山でのモーセの40日、エリアがホレブ山で過ごした40日間、イエス様の断食の40日、など多くの記事があります。また、復活後、聖霊降臨日までの間が四旬、すなわち40日だったことを示しています。それは、聖なる時です。闇の力、サタンの力が砕かれ、聖霊の働きが現れ、教会が現れるために、40という数を聖書は設定しているのです。ここで、ルカ福音書を総括するようなかたちで書かれている事柄のほとんどが、イエス様の救いの業なのですが、その中で特に注目すべきは、弟子たちの選びについてです。わたしたちの意識が、救い主イエス・キリストに集中しなければならないのはもちろんです。「しかしそれだけで、わたしたち人間が救われるわけではありません。」[5] ですから、イエス様の伝道の根幹に、弟子の選びがあったことが理解できます。弟子を選んだこと、すなわち教会の誕生は、イエス様の教えや、奇跡などと同じくらいに重要だったのです。「ルカは、こうした移行していく内容の文章を注意深く組み上げ、イエス様から弟子たちに焦点が当たっていくように構成している。」[6] ですから、使徒言行録とは、弟子の選びの書であり、クリスチャンであるわたしたちの書なのです。しかし、「弟子たちは決して自分たちの選択によって、この奉仕のなかにはいったのではない」[7]、という点を忘れてはならないでしょう。わたしたちが教会に来たきっかけは何でしょうか。話してみましょう。

4節からが、実際の続編の始まりと言えます。復活されたイエス様が、弟子たちに現れたのは勿論ですが、ルカ福音書では特に弟子たちと食事をしたことが強調されています。「食事をする」のギリシア語はシュナリゾマイという特殊な言葉であり、塩を一緒に食べるという意味です。そこから、一緒に食事する、一緒に野営する、一緒に留まる、などの意味が派生したのであって、単なる食事ではなく、イエス様の臨在が強調されていることは明らかです。復活の主が共におられたのです。弟子たちも、不安な気持ちのなかで、どんなにイエス様の臨在を心強く思ったことでしょうか。神の働きが、弱きものと共にある証しです。イエス様の姿は、見ただけでは、幻覚という可能性もあるのですが、ルカ福音書では、疑ってはいけないこと、手も足もある存在としてイエス様が復活され、弟子たちと食事をしたことが繰り返し告げられています。また、「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた」(ルカ福音書24:45)とあるように、復活というのは奇跡現象である以上に、聖書の内容の実証として位置づけられている点が大切だと思います。わたしたちは聖書をどう理解しているかを話し合ってみましょう。

さて、4節に戻りますが、復活されたイエス様が弟子たちに約束したのは、「高いところからの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ福音書24:49)というものでした。イエス様の次の世代の宣教が、エルサレムから始まるという約束があったのです。それは旧約聖書の時代から、エルサレムから御言葉が出る(イザヤ2:3)と預言されていた通りです。それが、使徒言行録の再び繰り返されている「父の約束」であり、神ご自身が人類の救いを達成するっために準備しておられる聖霊の出来事なのです。

5節では、この聖霊の出来事が、バプテスマのヨハネが行った水の洗礼以上のものであり、イエス様の洗礼において聖霊が下ったように、それを契機として、選ばれた弟子たちにも聖霊が降り、聖霊による洗礼が行われるだろうと予告するのです。「聖霊降臨は罪の赦しと結びついています。」[8] イエス様の十字架と復活は、新しい宣教の始まりであって、終わりではないのです。また、宣教とは結集ではなく地の果てまでの分散なのです。わたしたちの教会では、前回までは黙示録を学びましたが、イエス様の復活から1世紀末の黙示録の時代までには70年くらいの経過があったわけです。その間に宣教の働きは実際にエルサレムから始まって古代ローマ帝国の地の果てまでに拡大したのですが、その背景には、この聖霊のバプテスマがあったことを忘れてはならないでしょう。わたしたちは聖霊と罪の赦しをどのように実感しているかを話してみましょう。

6節には、ルカ福音書の延長のような部分が書かれていて興味深いものです。この時点で、弟子たちの意識はまだ、古いものであり、イエス様のことをイスラエル国家再建のための政治的指導者として見ていました。それは、彼らにとっては救いの神学を含む大切な問いでした。しかし、イエス様がイスラエル国家を再建するために来たのではないことは明らかです。ただ、こうした弟子たちの鈍さの指摘も大切な点なのです。本当には理解できていなかった人々が奇跡的に理解できていったというところに聖霊の存在意義があるからです。さてここで、弟子たちはイエス様に答えを求めたのに、イエス様は、自分の意見ではなく、父なる神のご意志がまだ隠されていると述べました。わたしたちの思考形態に関して反省させられる部分です。無駄なことを詮索すべきではなく、今与えられている課題に専念すべきだということでしょう。

8節で約束されているのは、聖霊が降るときに大きな力を受けることです。「そのためには、まずわたしが負けなくてはなりません。このわたし、『自我』というものが、神に打ち負かされていなくてはなりません。」[9] 生は死から生まれます。この時に受ける力は、ギリシア語でデュナモスであり、ダイナマイトの語源であるとてつもないパワーを表す言葉です。聖霊が降っているのか、そうでないのか、それを判断する一つの基準は、神からのデュナモスの有無で言えるのではないでしょうか。わたちたちはどうでしょうか。デュナモスを既に受けているでしょうか。それはまだでしょうか。しかし、神の業とは相応しくないものを相応しくしてくださる愛の業なのです。また、デュナモスの働きは、奇跡の力というよりむしお地の果てまで宣教し、イエス・キリストを証しするパワーなのです。「証人とは、すでに起こったことを、忠実に語る人のことです。」[10] 自分の感想や意見が大切なのではなく、神の業を伝えるリポーターのようなものです。わたしたちが地の果てまでも伝道することは、困難なことでもあります。証し人とは殉教者と同義語でした。聖霊なしには、生まれつきの弱さをもった者には証しは不可能なことです。

8節には、イエス様の昇天のことが書いてあります。「昇天はイエスの地上での宣教の働きが終わり、教会の働きへと移行していく区分を示している。」[11] これは、ルカ福音書にも書いてあることです。実際に、エルサレムに行きますと、オリーブ山の中腹、つまりゲッセマネの園から坂を上った地点に、イエス様が昇天したという場所に建てられた教会があります。弟子たちに、語ったことも、食事をしたことも、昇天したことも、エルサレムの近くにあるオリーブ山周辺での出来事でした。また、昇天は、変貌、や再臨と並んで神の栄光を表す出来事です。その栄光のしるしが聖霊です。復活のイエス様は、40日間を弟子たちと過ごした後、天に昇りましたが、それが一つの区切りとなったのです。10節にあるように、弟子たちは、昇天するイエス様をいつまでも見つめていました。彼らの視線は、イエス様の行った先を探るかのようでした。勿論、この時点では、弟子たちはまだ天からのデュナモスを受けていませんから、イエス様が去ったことで心細い思いをしていたに違いありません。

ところが、その時点でも、状況が変わっていきます。白い服を着た天使と思われる二人が、弟子であるガリラヤ出身者たちに、いつまでも天を見上げて名残を惜しんでいるのはおかしいと指摘しました。「それはまるでふるいものにしがみついている人間の姿ではないでしょうか。」[12] これは、最終的な終わりではなく、新しい始まりのための終わりだということです。ただ天使の助けは、「弟子たちの心の願いがかなえられた」[13]、とみることもできます。イエス様は、いつも弱き弟子たちを助けられるのです。「こういうふうにしてルカは、最初のキリスト教の中に生きていた力を、全く単純にしかも事の本質を見ぬく完全な明瞭さをもって叙述した。」[14] わたしたちは、自分自身が、イエス様の宣教、十字架と復活、聖霊の洗礼、宣教、再臨という神の救済の歴史の流れの中に生かされていることを覚えたいものです。「クリスチャンは現代の世に仮住まいし、霊的には天の御国に所属し、来るべき時代を先取りしつつ喜んで生活している」[15]、のです。 わたしたちが、もし、先取りではなく逆に、去りゆくもの、あるいは既に去ったものにまだ袖を引かれる思いを持っているならば、二人の天使は、「なぜいつまでも見上げているのか」と問いかけてくることだろうと思います。

[1] シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、3頁

[2] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、535頁

[3] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、12頁

[4] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、4頁

[5] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、15頁

[6] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、26頁

[7] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、4頁

[8] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、58頁

[9] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、6頁

[10] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、21頁

[11] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、56頁

[12] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、12頁

[13] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、61頁

[14] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、9頁

[15] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、35頁

-聖書研究