この本の五人の実業家の中には、渋沢栄一も登場します。渋沢栄一だけでなく、明治時代という、画期的な時代を創設した綺羅星のような「革命児」たちが次々と登場して、読む者を驚かさせます。彼らがいかに相互に連絡を取り、啓蒙し、協力して新国家を形成したかが浮き彫りにされているのです。ただ、何よりも印象的だったのは台湾政策についての記述でした。日清戦争のあと、下関条約によって1985年に台湾が割譲されてから50年間にわたって日本の統治が続いてわけです。中国本土も台湾も、旅行で何度も行った経験がありますが、同じ中国圏ではありながら大きな違いもあります。わたしはツアーのような旅行が好きではないので、現地の電車やバスに自分で切符を買って乗ったりして、他の乗客と中国語で話して、その地方の風物について聞くのが楽しみです。そんな経験の中で、台湾人が、ものすごく親日的なのにはいつも驚かされてきました。なにしろ、50年間も外国の支配、統治を受けてきたのですから、反日の気持ちがあっても当然ではないかと思うのです。しかし、その疑問にたいする答えのようなものを、この本の中で見つけることができました。後藤新平自身も、台湾統治に対しては大きな貢献をしたようです。もともと、医学関係や衛生学の知識を外国でつんだ後藤新平は、様々な疫病で苦しんでいた台湾の人々の社会衛生状況を飛躍的に向上させ、産業を興し、インフラ整備を行ったのです。さらに驚くことは、当時の台湾政策の学問的研究機関として台湾協会学校(後の拓殖大学)を設立し、新渡戸稲造や矢内原忠雄などのクリスチャン学徒たちと協力しあったことです。歴史的に見ると、植民地政策というのは、被植民地の住民から反発を受けやすいものですが、明治時代の実業家たちは、WIN・WINの関係を築く事が出来たのです。そこには、キリスト教が提唱する、創造者である神の下における万民の平等という理念があっただろうと推測されます。残念ながら、それは現在でも継承されているとは言えず、最近でも、入管収容所で若い外国人出入獄管理法違反者が、人間の基本的な権利である十分な医療保護を受けられずに死亡するというような、悲惨な事件も起こっています。わたしたちは、歴史の先達から学ぶ必要があると、この本を読んで痛感しました。