日本キリスト教伝道考察(1)
40年近くキリスト教伝道に従事してきました。その中で、感じたことをまとめてみようと思います。日本では、キリスト教系の新興宗教、神道系の新興宗教、仏教系の新興宗教など多彩に展開され、まさに宗教のデパートのようなものです。その中で、伝統的なキリスト教は、絶滅危惧種のような存在だと思います。伝道が伸びないのは何故でしょうか。一番はっきりと言えるのは、ご利益でしょう。諸宗教の伝道を見ると、彼らの宗教団体に加入することにより、病気が快癒し、家族関係が改善し、仕事の面でも成功することが強調されています。これは、初詣の際などに、商売繁盛、家内安全を願って賽銭を投げ入れるのに似ているでしょう。日本人には自然に生まれてくる宗教観です。これを、自動販売機型宗教観と呼んだどうでしょうか。コインを入れると、ガタンと音がして、品物が出てくる仕組みです。日本人にとって、神とは、お願いをする際に、何かの奉納をすることによって、ご利益を与えてくれる存在です。つまり、自動販売機の神です。外国人が日本に来て受けるカルチャーショックの一つに、街頭に林立する里道販売機のことがあるそうです。それも、飲み物だけでなく、最近は様々な自動販売機があります。神様も同じです。学問の神や、健康の神、ひいてはポックリ死なせてくれる神までそろっています。日本の文化というのは実に、利便性を重視するものだと分かります。インドや、南アメリカでは、人々は時間に縛られていないようです。ただ、日本では、利便性の神が存在するために、生活のすべての側面は時間に拘束されています。日本の自動販売機に音楽が導入されたのは、待ち時間にいら立つ人が機械を蹴ったりして壊すことがないようにするためです。日本人は、無音の自動販売機を待つことができません。利便性が悪いからです。さて、教会の教える神は、利便性の神ではないし、自動販売機の化身でもありません。全世界、全宇宙の創造者であり、支配者です。わたしたちは、ご利益を要求できる主体性を持たず、ただただ、待つのみです。自動販売機に硬貨を入れても、何年も結果が現れないようなことが多々あるとします。日本人はそのような宗教を信じようとするでしょうか。それは、役に立たない自動販売機でしょう。日本人にとって、キリスト教の神は、役に立たない神です。従って、教会にたまたま来たとしても、失望し、再度来ることはないでしょう。それが、伝道の進展しない一つの理由です。神が、自動販売機ではなく、人間の行為に応じて果報を与える方ではないからです。