印西インターネット教会

大名行列とオリンピックの共通点

コロナ禍の中でのオリンピック開催まではあと1週間となりました。1964年の東京オリンピックを千駄ヶ谷のスタジアムで見たものとしては、今回の開催について人々が喜んでいる様子が感じ取れません。「オリンピックを嫌いになりそう」という談話をしている人もいました。おそらく、それが大多数の意見ではないでしょうか。そもそも、これが政治的に決定された行事であり、民間の行事は禁止されている中で、オリンピックだけが「神聖な行事」として扱われているところに問題があるのではないでしょうか。例えば、無観客と決定されたのに、首都高速道路はオリンピック関係者のスムースな移動のために、料金を1000円増加させることが決められたのです。民意とは全く関係なしに、「決定ありき」の状況が続出しています。まさに、「聖なるオリンピック」ではないでしょうか。こうした、権威主義は、江戸時代の「大名行列」そのものです。権威者が通る時に、平民は「下におれ、下におれ」と命じられ、平身低頭して地に伏すだけです。日本は、まだまだ精神的に近代化されていないのだと痛感します。逆の例として思い出されるのは、映画「炎のランナー」の主人公であり実在の人物であるエリック・リデルです。これもまた、オリンピックのストーリーです。100年ぐらい前にパリで開催されたオリンピックの事です。イギリス代表の短距離走者であったエリック・リデルは、予選が日曜日に行われることになり、「自分はオリンピックより礼拝を大切にしたい」と言って、予選出場を棄権したのです。彼は人間が設定した「聖なるオリンピック」を否定し、神のみを神聖なものとしたのです。これには、イギリス国王も激怒しました。しかし、エリック・リデルは国家権力にも屈しませんでした。それも、人間が造った地上の権威にすぎないからです。幸いなことに、100メートル走の選手であったエリック・リデルに友人が400メートル走の出場権を譲ってくれました。400メートルの方は、日曜日にかかっていなかったからです。そして、この「炎のランナー」は自分が訓練していた種目ではない400メートル走に出て優勝したのです。まさに奇跡でした。その後、エリック・リデルは中国に宣教師として渡り、若くして亡くなっています。中国の人々は彼の純粋な信仰をたたえて記念碑を建てたそうです。この「炎のランナー」の実例が占めしていることは、地上の権威が絶対ではないこと、忖度はしないこと、万人は平等であり、万事も平等だという事です。江戸時代の大名行列のようなことは、もう廃止してほしいものですね。

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