ますます進むオリンピックの聖域化
今日のニースに「組織委はプライバシー保護の観点から、陽性者の国・地域や年齢、性別などは公表しない方針。事前合宿で来日した選手らを除く大会関連の陽性者は、1日以降で計55人となった。」と書いてありました。オリンピックの為には首都高速道路も平民には使わせわせない、というような意味合いのお触れ書き(料金に1000円上乗せ)が既にでていますが、これも五輪の聖域化の現象でしょう。平民ならば、濃厚接触者や感染経路の厳しい調査をするのに、オリンピック関係者はアンタッチャブルなのです。不思議なことに、こうした事態にたいして、マスコミも沈黙しています。お上の決定には逆らわないのが得策だということでしょうか。二千年前にも、こうした聖域化はありました。イエス・キリストという方は、それに声をあげた唯一の人物だった訳です。細かい内容は、福音書を読んでいただければわかると思いますが、神殿の聖域化、安息日の聖域化、そして社会階層の聖域化などが人々を苦しめていた訳です。それに対して「否」を掲げたイエス・キリストは、裸の王様の実態を正直に証言した少年のようでした。そして、「裸の王様」の寓話は、人間社会の忖度や権威の聖域化を批判する優れた寓話だったことがわかります。