「おお牧場は緑」 マルコ6:30-44
今日の福音書の日課にイエス様が多くの人びとを養ったという記事があります。場所はガリラヤ湖の湖畔でした。それはまさに、羊飼いが飢えた羊を導いて緑の牧場に連れて行き、飢えを満たすのに似ています。今年は戦後76年になりますが、戦争の時、人々の人生には飢えが満ちていました。普通は食べられないものを食べた時代でした。戦地では、食料がなくて革靴を煮て柔らかくして食べたという記録さえもあります。
皆さんは、「おお牧場は緑」という歌は知っているかもしれません。しかし、その歌の背景を知っているでしょうか。この曲は、もともとはチェコスロバキアの民謡ですが、歌詞は日本人が英語の歌詞にヒントを得て書いたものです。作詞者はクリスチャンでした。「おお牧場は緑、草の海、風が吹く、おお牧場は緑、よく茂ったものだ」という歌詞で、文部省唱歌にもなりました。第三節は、「おお仕事は愉快、山のように、つみあげろ、おお仕事は愉快、みな冬のためだ」と、非常にポジティブな歌詞になっています。その作詞家の名前は中田羽後という牧師で、ヘンデルのメサイヤを日本に紹介した人です。彼の父親はホーリネス教団をつくった中田重治という牧師で、わたしの家内の祖父が洗礼を受けて牧師になるまで導いてくれた先生でした。ところが、「おお牧場は緑」のような明るく爽やかな作詞をつくった中田羽後ですが、大変に苦しい青年時代を過ごしました。権力的な親からの要求に悩み、一時は自殺しようとしましたが、自我を捨てることで救われたのです。その救いの喜びが、「おお牧場は緑」、「シャロンの花」、「キリストにはかえられません」、「カルバリ山の」などの作詞になったわけです。苦しみから、可憐な喜びの花が咲いたとも言えるでしょう。弱さの中に花開く信仰というものを体験したのです。
さて、今日の福音書の日課である5千人を養った奇跡の話は、4つの福音書に共通であり、この奇跡がとても重要なものだったと示されています。実際に、イスラエルに行ってみますと、初代教会の遺跡が残っていて、教会の床に、この二匹の魚と五つのパンがきれいな石のモザイクになって床に描かれていたりするわけです。わたしもそれを見たことがあります。では、この奇跡の重要性とは何だと思いますか。
34節に、人々が飼い主のない羊のようだったとあります。ご存知だとは思いますが、羊は人類に飼われてきた最古の動物の一つであり、すでに自然の防衛本能や生命維持の本能を失い、自分で餌を見つけてお腹を満たすことができない生き物です。つまり、餌を食べるという基本的な行動においても飼い主の助けがなければ、自分では緑の牧場を見つけられない存在だということです。そこで考えなくてはいけないのが、現代のわたしたちは本当に自分の生きる糧を十分に見つけることができる存在だろうかということです。
イエス様は、「疲れた者、重荷を負う者はわたしのもとにきなさい。わたしがあなたを休ませてあげよう」、と語りました。そして、精神の重荷、体の障害を負った人々はイエス様の教えた聖書の言葉で実際に癒されたのです。つまり緑の牧場を発見したのです。ただそれは、たくさんのパンを供給することによってはありませんでした。「何を食べようかと考えて悩むな。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば他のものは加えて与えられる。」これがイエス様の教えの中心だったからです。すこし難しいですね。神の国とは神のご支配に任せること、義とは、「あわれみ、救い」を意味します。ですから、自分で緑の牧場を見つけるのではなく、羊飼いである神様に、み心のままに救ってください、導いてくださいと願うことなのです。
さて、弟子たちは、地上の糧の問題を心配し、群衆を解散させ、各自が食料を調達するように命令してくださいと、イエス様に求めました。これは常識論です。しかし、人間的な方法であるだけに、神の国と神の義を求めることにはなりません。中田羽後が若い頃に悩んでいたのはこの点だったのです。模範的なクリスチャンになろうとして自分の人間的な努力をしても、見えてくるのは自分の罪ばかりでした。同じように食物というこの世の糧で悩む弟子たちに、イエス様は今ある食料に注目させます。買ってきたものではなく既に存在するものに注目させたのです。わたしたちもないものを求め、そして、やはり足りないと思ってあきらめてはいないでしょうか。韓国では整形手術が盛んだそうです。いまある自分の顔では満足できないのです。そして、残念なことに、韓国の美人というのはみな同じ顔になっています。逆に、聖書では、今、現にあるものに恵みが既に存在する、と教えています。恵みは十分である。これを信じられるでしょうか。神はいままで見えなかった緑の牧場に、自分の目を開いてくださる。だから、エレミヤ書の日課にも、神が、「羊を集め、もとの牧場に帰らせる」と書いてあるのです。この聖書の箇所を学んでいることがすでに導かれている証拠です。
食料の不足というのは一つの例ですが、生活の面で、現状に満足できず悩む弟子たちの信仰心の浅さを、イエス様は否定せずに受けとめ、彼らの願いを聞きます。そして、38節にあるように食料を確認させます。5千人いても、食料は、一人の少年が持っていた5つのパンと2匹の魚だけでした。でも、イエス様は、常識で見たらたったほんの少しのパンと魚を、あたかも豊かな量のパンと魚のように感謝し祝福しました。ここが大切です。そして、42節以下にあるように、「すべての人が食べて満腹し」残りも12籠分あったのです。それはイエス様は「天を仰いで賛美の祈りをささげ」神の国と神の義を求めた結果でした。人々は、今ある、ほんの少しの恵みによって満たされたのです。これは偉大な出来事でした。そして、弟子たちはこのことを忘れないようにするために、二匹の魚と五つのパンの絵を残したのです。それから続く2百年以上の迫害と飢えの時代にも、恵みは既に自分のもとに十分にあるという事実を、この二匹の魚と五つのパンの絵で思い出したでしょう。それは彼ら帰ることのできる緑の牧場でした。
その時に、あなたも養う者になりなさいとイエス様は教えたのです。あなたがたも羊飼いとなり、弱った羊、飢えた羊を緑の牧場で養いなさい、と命じたのです。それを聞いた人が、ナイチンゲールやマザー・テレサ、中田羽後のような人々でした。彼らは、自分には不足しているのではなく、神がすべて備えてくださっていると自覚した人々です。わたしも青年時代に、宣教師の先生と一緒に賑やかな都心の街頭でビラ配りをしたことがありました。大勢の群衆をゆびさして、その宣教師は「中川さん、あの人たちのほとんどは本当の神を知らないのですよ」と憐れみの表情を浮かべて語りました。それも、「中川さん、あなたも福音を伝えてください、あなたが養いなさい」、と教えられたことなのです。もしかしたら、この指導があったから、今でもインターネット教会を続けているのかもしれません。
さて、クリスチャンであっても、その信仰が親からの強制に過ぎない時に、中田羽後は悩みました。しかし、その悩みの中で、小さな自分、罪だらけの自分を見捨てず、限りなき愛を持って養ってくださる羊飼い、主イエス・キリストを発見したのです。それから彼は元気になりました。恵みを知るとは、すでに神の恵みは十分だと知ることです。「おお牧場は緑、おお仕事は愉快、山のように、つみあげろ、おお仕事は愉快、みな冬のためだ」と、非常にポジティブな救いの喜びが与えられるのです。そしてそれを伝えるようになるのです。