聖書研究

フツーの人だった弟子たちが革命的に変化した原因は、聖霊降臨だった

使徒言行録2章1節-13節        文責 中川俊介

イエス様の復活とは、聖霊降臨の為だったのではないでしょうか。イースター、すなわち過越祭の時が過ぎて50日後に五旬祭の時が来ていました。旧約聖書では民数記28:26にその祭りの規定が書いてあります。「この日は、主イエスが十字架につけられたあの過越の祭りの時以来、最も多くの人々がエルサレムに集まってくる日でした。」[1] これはもともと、春の小麦の初穂を刈り入れる喜びの祭りでした。「のちに救済史的意味が加わり、過越祭はエジプト脱出の記念、五旬節はシナイ山での律法授与の記念の日とされるようになった。」[2] ちょうどヨーロッパでの冬至の光の祭典が、クリスマスとなったように、もともとあったお祭りに新しい意味を加えたものです。また、五旬節は特別な時であり、「ユダヤ教ではこの祭りはノアとモーセに対する契約の更新」[3]、を意味しました。ですから、聖霊降臨は救いに深く関係する日だったのです。また、五旬という言葉の5という意味がペンテコステの語源になったわけです。

それまでに、イエス様は色々な場所で復活の姿をあらわしました。そして、1章9節にあるように、昇天されたのです。ただ、昇天する前に、やがて弟子たちが聖霊をうけて力強く伝道することを告げました。ですから聖霊降臨は偶発的な出来事ではなく、神のご計画のなかの出来事であり、イエス様はそれが起こる以前から知っておられたのです。「それは目を神の行為にとめ、それを見えるようにし、こうして弟子たちを喜びに満ちた完全な確信に入れたのである。」[4] イエス様が、エホバのご意志を理解したように、弟子たちもおなじように理解することになったのです。「わたしたちの信仰生活の力は、いつでも正しい認識から始まるものだからです。」[5] 正しく理解しないと試練に弱いのです。

1節には、弟子たちが一緒に集会していた様子が描かれています。祈る者がおり、語るものや証しする者がいたことでしょう。「これは教会として集まることです。」[6] 普通、わたしたちは個人の祈りを優先しがちですが、伝統的には共同体の祈りが主流です。個人の利害を超えたところに神の御旨があると思われます。「また祈りとは自己否定の力にほかなりません。自己否定を持たない業は無力にすぎません。」[7] 集団であれ、個人であれ、その中で自己が主張されず、利己的とならずに神の御心が求められる時、聖霊の働きがあるのです。わたしたちがこうした姿勢を取るにはどうしたら良いのでしょうか。皆で考えてみましょう。

2節には、聖霊降臨の最初のしるしが激しい風のような音だったことが書かれています。風と息吹は、聖書ではルアーハという言葉で表現され、それはまた霊のことでもあります。命あるものが、呼吸によって起こす風によって意思伝達を行うというのは興味深いことです。また、太古の昔、神が土(アダム)の塊でしかなかった人間に息を吹き込んで生きる者としたことを想起させる場面です。この場面でも、この風の音は天から響いてきたようです。後の時代に黙示録が書かれていますが、やはり、新しい出来事が天から示される場合が多く見られます。イエス様の洗礼の時と同じです。そして、3節には、炎のような舌が一人一人の上に現れたとあります。この舌の形と色とが、バラの花びらに似ているのでヨーロッパではペンテコステにバラの花びらを撒く習慣があるそうです。それは、聖霊の火のようでもあり、何か言葉を象徴するものでもあります。同時に、火や炎は神の臨在を示すものでした。

4節では、弟子たちが聖霊に満たされ、ほかの国の言葉で話し始めたとあります。ここでの「満たされ」という言葉は、洗礼を受けることと同じ意味であり、神から力を授かることでもあります。ですから、聖霊降臨とは新しい霊の洗礼の時(ルカ3:16参照)だったのです。ただ注意が必要なのは「霊による満たしは色々な場合に繰り返し起こることなのであるが、霊による洗礼は一回きりのできごとである」[8]、ということです。また、創世記11章にあるバベルの塔の話では、神に逆らって自分たちの権威を確立しようとした人類が、言葉を乱され(バベル)てお互いに理解できなくなり、世界に散らされてしまった故事が語られています。彼らの動機が利己的なものだったからです。聖霊降臨では、丁度その逆になったと考えても良いでしょう。再び人々の心が個人利益を離れて一つとなり、多種多様な言語はもはや障害ではなくなったのです。それに、弟子たちは一種の預言状態になったとも言えます。そして、これは前にも述べたように、新しいシナイ山であり、新しい形の律法授与が行われ、外的な神の掟が、人間の心の内面に刻まれたということです。神と人との一体化です。では、わたしたちの内面的な願望はなにでしょうか。皆で話し合ってみましょう。

5節には、当時のエルサレムの状況が書かれていて、興味深いものです。デアスポラと呼ばれた、国外に散らされたユダヤ人たち、その中でも信仰心深いユダヤ人がエルサレムに住んでいたのだといいます。この「住む」という言葉は必ずしも永住をあらわすものではないようです。過越祭や聖霊降臨を祝うために長期滞在していた場合もあるでしょう。「ディアスポラのユダヤ人は、数世紀以来あるいは数十年以来その地に定着したのであるから、その日常の言語はその地その地の国語を用いた。」[9] 生粋のユダヤ人とは、イスラエルで生まれイスラエルで育った者でしょう。その面では十二使徒はそうであるとも言えますし、そうでないとも言えます。何故なら、彼らはガリラヤの出身でしたので、エルサレム周辺のユダヤ人からはほとんど異邦人扱いされていたのが当時の状況だからです。それはともかく、聖書では、地位の高いユダヤ人たちが信仰的ではなかったということが頻繁にでてきます。やはり、ある程度社会的に安定すると、信仰的な視点は弱まってしまうのでしょうか。外国で自己を否定される不安定な生活を経験してきた、帰国組のユダヤ人たちは信仰を保っていました。

それだけではありません。実は、ユダヤ人の帰国は、まさに聖霊降臨の出来事のために準備されたことのようなのです。帰国者ですから、当時の地中海沿岸、ローマ帝国内の様々な従属国家で生活していたわけで、その地域の言語を使用していた者たちでした。ですから、炎の舌のようなものが頭から立ち上がって外国語を話していた弟子たちの言葉を彼らが聞くことになったのです。彼らが驚いたのは、その弟子たちの言葉がでたらめの騒音ではなく、れっきとした外国の言葉だったからです。また、聖霊降臨が何かの外面的奇跡ではなく、理解できる言葉として始まったのも興味深いことです。これを以て、神は何を示されようとしたのでしょうか。「それぞれの民族のことばで語られるとは、それぞれの民族の生活の中に消化され、土着化した福音が宣べ伝えられるということです。」[10] わたしたちは福音を生活の中でどのように消化しているでしょうか。皆で話してみましょう。

7節以下に、ユダヤ人たちの驚きの理由が詳しく書いてあります。弟子たちは、外国経験のほとんどないガリラヤ出身者なのに、どうして外国語を流暢に話せたのでしょうか。ただ、ガリラヤにはメソポタミヤやトルコをエジプトと結ぶ交易路もあったことですから、弟子たちは伝道生活の中で、ある程度外国語を聞いたことがあると推測されます。ですが、このように話すということは、神の助けなしにできることではありません。イエス様でさえ、外国語を自由に話したというような記録はありません。せいぜい、ヘブライ語と当時の公用語だったアラム語くらいのものでしょう。ローマ帝国の言葉であるコイネーと呼ばれるギリシア語は、弟子のサイモンに、ペトロ(岩)というギリシア語のあだ名をつけたぐらいですから、理解していたのかもしれません。「エルサレムからペルシアまで、東半分は、アラム語が支配し、エルサレムからローマまでの西の半分は、ギリシア語が支配していた。」[11] ただ、「ルカの時代のユダヤ教の解釈では、シナイ山で神から律法が与えられた時に、それはすべての民族にすべての言語で与えられたとされていました。」[12] これも律法授与と関係の深い出来事です。

9節には、ユダヤ人が散らされていた地域の名前が列記されています。パルティアからメソポタミアまではイスラエルの東方であり、アラム語の地域です。その地域には数百万のユダヤ人が散在していたそうです。次に、カパドキアからパンフリアまでは、現在のトルコに位置する場所で、ここにも多くのユダヤ人が住んでいました。当時の歴史家もこれについて証言しています。やがて、使徒言行録の舞台もそちらに移っていきます。エジプトやリビヤは南部にあります。アラビヤはローマ国境を越えた場所でした。そして、「この町の在り方からその古い歴史によって、すでに部分的に達していた、世界の民が一つになるということが、今や使徒たちの奉仕によって完成したのである。」[13] それは政治的なものによってではなく、福音による世界統一です。イエス・キリストによる罪の贖いの福音です。ですから、この時の弟子たちの様子は、預言状態であると同時に、福音を証しする賛美の状態であったと言っても過言ではないでしょう。これは、旧約聖書と新約聖書の間で重要なことですが、新約というので何か新しいことが新約聖書にあって、旧約聖書の出来事は古いことなのだという意味ではありません。もともと一つの聖典なのです。その一つの聖典の前半部分に、神の予告というか、後におこる出来事のさきがけが示されています。神の顕現というのはそういうものです。聖霊降臨に関しても「ついに、われわれの上に霊が高い天から注がれる」(イザヤ32:15)と、すでに預言されていたのです。

しかし、中には懐疑的な人々もいて、これを超自然現象として受け止めようとせず、昼間から酒に酔っているのだと科学的に解釈し、蔑視した者もいました。霊と酒との類似点が指摘されています。「確かにこの両者は自分を忘れ、自分ならぬもののために行動します。」[14] ただここで、明確なのは、神の現象が現れるときに、それをすべての人が信じるのではなく、むしろ信じる者と信じない者との境界線がくっきりと浮かび上がってくることです。「今までの自分の人生観なり人生哲学を変えるという場合には、どうしてもそれまで安住していた所がゆるぎ始めるような出来事にぶつからなければならないのです。」[15] それはわたしたちの日常でも言えることです。神を心から信じようとするときに、心の中や、生活の状況の中にそれと正反対な出来事が起こって、古い構造に戻そうとするのです。こうした闇の力と思われるものにたいして、わたしたちは無力です。いや、ここでは、徹底的に無力だと感じること自体が逆に上からの力を受ける契機になるのです。十字架の時には、闇の勢力に散らされてしまった弟子たちでしたが、今回は、自己を忘れ聖霊の洗礼を受けたので、誹謗中傷に揺らぐことはありませんでした。パラダイムシフトが起こったのです。そして、特別な人が特別なことを行ったのではなく、特別でもない人が、想像もできないような特別なことを行ったのです。それは御言葉の解き明かしでした。「その日に、神の聖霊は、教会に世界大の刈り入れの初穂を与えられ、世界の各民族のことばで人々を刈り取ることの保証を下さったのです。」[16] その証拠として、聖書は世界の言語に翻訳されていったのです。教会でも、個人的な人間に注目した伝道は脆弱なものです。むしろ、信徒一人一人が福音の言葉を解き明かすようになることが、イエス様の預言です(使徒言行録8:35参照)。これが、現代に起こるならばそれはリバイバルと呼ばれます。

[1] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、46頁

[2]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、21頁

[3] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、68頁

[4]  前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、20頁

[5] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、49頁

[6] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、24頁

[7] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、26頁

[8] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、56頁

[9] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、570頁

[10] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、51頁

[11] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、27頁

[12] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、35頁

[13] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、25頁

[14] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、60頁

[15] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、57頁

[16] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、52頁

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