アマミマルバネクワガタという昆虫がいます。これを、どう読んだらよいのでしょうか。アマ・ミマルバネクワガタなのか、アマミマル・バネクワガタなのか。正解は、アマミ・マルバネクワガタでした。つまり、奄美諸島などに生息する、羽が丸いクワガタということでした。最近知ったのですが、この種のクワガタは採集が禁止されていますが、それでも販売される時には一個体が数万円もします。希少価値という事でしょう。我が家の息子たちも小さいころに、普通のクワガタやカブトムシを採集するのが夏休みの日課のようでした。確かに、黒光りして固い甲羅をつけた昆虫は、子供心にアピールするものを持っています。しかし、それが子供たちだけでなく、大人の間でも人気があるのです。見栄えがいいだけでなく、希少価値も加わって、高価な値段がついているわけです。ダイヤモンドも同じではないでしょうか。確かに原石を見ても、水晶と大差がありませんが、ブリリアンカットにすると、その高度な屈折率の働きで虹のように輝きます。そして、地上の物質では最も固い物質です。また、ダイヤモンドは地中深いところで生成しますから希少価値が高いものです。しかし、ダイヤモンドの成分は純粋な炭素です。スミと同じです。これは宇宙の惑星を構成する元素としては最も多いものの一つにすぎません。惑星の中には、炭素の塊のようなものがあって、核に近い部分は高温・高圧となるので、ダイアモンドが無数に生成されているそうです。ですから、もし、地上にダイヤモンドが海岸の砂浜のように無数に存在するなら、希少価値はありません。同じように、アマミマルバネクワガタも無数に存在するなら、希少価値はありません。宇宙の物質にしても、昆虫にしても、それを過度に評価する危険を聖書は指摘しています。それは被造物に過ぎないからです。被造物を過度に崇拝することは、一種の偶像礼拝です。歌手などが、アイドル(偶像)と呼ばれるのも一理あります。人間も被造物に過ぎないのに、それをあたかも神のように崇拝するからです。ただ、アマミマルバネクワガタにしてもダイヤモンドにしても、人間は人間自身でその美意識、効能、機能性、希少性などから判断して、その獲得を争ってきました。それに神の側から鉄槌を下した話が旧約聖書にあります。ヨブ記です。ヨブ記では、人間が持つ価値観に徹底的な疑問が投げかけられています。神の言葉の前に謙虚にさせられたヨブはこう語りました。「あなたのことを、耳にはしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。」(ヨブ記42章5節以下)アマミマルバネクワガタやダイヤモンドに限らず、金銀宝石というアイドル、財産というアイドル、有名人、ペットなどというアイドルなどに夢中になりやすい人間性を持ったわたしたちですが、聖書を知ることによって、被造物を過度に喜び、愛し、絶対化する危険を自覚し、創造主を崇める姿勢が生まれてくるでしょう。