閑話休題

大谷翔平選手への四球にみられる人種差別

メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手への「いじめ」が増加しています。先日は、意図的な死球を投げた投手と監督が批判されました。しかし、ホームランの数でメジャーリーグのトップだった大谷選手への四球攻撃は終わっていません。皆さんは、これをどう思いますか。明らかに、人種差別です。もし、大谷選手が白人なら、もっとフェアーに勝負するでしょう。そして、大谷選手がホームラン王になっても、誰も問題視しないでしょう。ところが違うのです。アメリカは、自由や平等を標榜していますが、人種差別は根強く残っています。わたしがそれを強く感じたのは、南部のサウスカロライナの教会で働いた時です。法律的な人種差別は撤廃されたが、意識的な人種差別はいまも残っていると、地元のルーテル教会の会員が話してくれました。わたし自身も、アメリカの神学校で学んでいたころに、ショッピングモールを歩いていたら、生卵を投げられたことがあります。黒人に限らず東洋人も有色人種ですから、白人の側からは、意味のない差別を受けることがあります。大谷選手の場合もそうです。白人ではなく有色人種の大谷選手が、アメリカのメジャーリーグで歴史に残るような記録を出すことに我慢ができないのです。おそらく、それは白人の優越感を傷つける者なのでしょう。これもわたしが経験したことですが、アメリカの神学校でギリシア語を学んだ時に、わたしはクラスの中で上位でした。すると、顔見知りの白人学生がやってきて、「日本人がこれほど勉強ができるとは思わなかった」と言ったのです。彼は率直な人だからそういったのですが、他の白人学生は悔しい思いを隠していたのかも知れません。おそらく、メジャーリーグの投手たちも、自分たちの投球が大谷選手に歯が立たず、まんまとホームラン王になってしまうことに我慢がならないのでしょう。こうした、人種差別はイエス様の時代にはもっと強くありました。ユダヤ人は、自分たちを選民と意識し、周辺の異民族を蔑視していました。肌の色や民族には関係なく、一人一人の人間を神に愛される人間として捉えたのは、人類史上イエス・キリストが最初です。そこで、当時差別されていたサマリア人のことを譬えで語りました。その話の中で、強盗におそわれて傷ついた人を助けたのは、ユダヤ人の祭司やレビ人ではなく、異邦人のサマリア人でした。そこでイエス様は律法の専門家に問いかけました、「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」(ルカ福音書10章36節)アメリカの建国の英雄たちは、それぞれが信仰心を持っていました。そして、英国の王権による民衆支配を否定し、神の下での自由と平等の原理にたった国を設立しました。それは1776年です。アメリカの独立から、まもなく250年となろうとしています。それなのに、たとえスポーツの世界であろうとも、こうした差別が残っている事に、アメリカという社会の偽善性を感じないではいられないのはわたしだけでしょうか。イエス様の時代にも、ユダヤ人社会は偽善に満ちていました。それを、イエス様が「白く塗った墓」(外面は見栄えが良いが、内面には汚物が溢れている)と批判したのは良く知られていることです。

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