閑話休題

魂の底にある暗い闇

前にも書いたドン・マクリーン作詞作曲の「星月夜」(starry starry night)は、マクリーンがある学校に演奏に行った際に、ヴィンセント・ゴッホの本を見て曲想を得たものだそうです。その歌詞の中に、「わたしの魂の中の闇を理解する眼」という形で、ゴッホの事を表現しています。確かに、ゴッホの自画像を見るとその通りです。歌の中では、中国の青磁の青の色とうたわれる、彼の深いブルーの眼は、悲しみと闇を理解し、自分ではどうにもならないことを受け入れています。最後に彼が自ら命を絶ったのも、不可避でした。闇を知りながら、闇の中に置かれた自分の人生から逃げようとはしなかったのです。わたしたちはどうでしょうか。世の中のことが目まぐるしく移り変わる中で、自分の魂の底にひそむ闇の部分に気付いていないかもしれません。わたしたちの持つ、痛み、わたしたちにつきまとう、不安、わたしたちの恐ろしい衝動、消せない過去の汚点、そこに闇があります。ゴッホはそれを理解したと、マクリーンは感じました。また、マクリーン自身も闇を理解していたがゆえに、このような美しい曲をつくることができたのでしょう。冬なしに春は来ません。悲しみなしに、真の喜びは来ません。闇なしに光は感じ取れないものです。ゴッホのあの美しい色彩は、闇があったからこそ生まれたのでしょう。キリスト教では、この闇をイエス・キリストの十字架と重ね合わせています。そして、わたしたちが負わなければならない十字架も同じです。しかし、闇が終わりではありません。ゴッホは死にました。しかし、彼の画はいまだに光を放ち続けています。

 

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