聖書研究

他人から不当な批判やいじめを受けても弟子たちが屈しなかった理由

使徒言行録4章1節-22節日 文責 中川俊介

奇跡の後の興奮がまださめやらぬまに、神殿の権威者たちが様子を見にやってきました。イエス様を十字架につけた人々が、次の獲物を狙うかのように忍び寄ってきたのです。「これはペンテコステを過ぎて間もない時であり、イエスが十字架にかけられてから二箇月そこそこのことであったと思われる。」[1] 1節の「神殿守衛長」というのは、ある面では警察権力のようなものでしょう。「神殿の衛兵長は、身分の高い祭司の一員であって、祭司やレビ人からなる神殿の衛兵の上に立って、命令を下し、神殿の秩序のために配慮していた。」[2] 彼らは初めに、使徒たちの様子を観察しました。使徒たちは、集まった大勢の群衆に、イエス・キリストの復活の福音を熱心に伝えていました。このときに、サドカイ派を中心とした、復活を信じない反対派の人々が苛立ったのは当然のことでしょう。「興味深いことに、イエスの宣教の際には一番の妨害者だったファリサイ派の人々は使徒言行録では教会に好意的な人々として描かれており、サドカイ派が反対派のリーダーとされている。」[3] 第一に、彼らが殺して亡き者にしたはずのイエス様が復活したというのですから、気分がわるかったことでしょう。また、第二に、復活ということはメシア預言の成就を意味しますから、自分たちの行動が聖書に反したものであることを示され、不快の念は極致に達したはずです。

3節には、ペトロとヨハネは民衆に説教した罪で捕えられ、獄に入れられたとあります。無実の罪です。「これは、新しい聖霊の時代において教会が受けた最初の迫害でした。」[4] 人間その気になれば、無実の人でも有罪にできてしまうのは恐ろしいことです。「敵対者が現れた事実は注意されねばならない。宣教あるところ必ず敵対が起り。敵対なきところ真の宣教はないと言ってよい。」[5] この時に、イエス様の場合と同様に、使徒たちは無抵抗でした。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)、というイエス様の言葉は彼らの脳裏から離れることはなかったのです。イエス様が緊急の場合にも、すべてを神に委ねることができたように、使徒たちも聖霊の助けによってこの理不尽な逮捕を忍耐する事ができました。わたしたちは理不尽な扱いに対してどんな態度をとっているでしょうか。皆で考えてみましょう。

しかし、記者のルカは、こうした迫害にもかかわらず、多くの聴衆の中から信仰を持つ者が出たと書いています。それは驚くべき数で、男性だけでも5千人いたというのです。ですから、このことから逆算してみると、ペトロの説教を聞いた人の数は1万人かそれ以上であったかもしれません。ともかく、これは初期のキリスト教にとって大変な出来事であったわけです。

5節を見ますと、使徒たちを一旦捕縛しておいたユダヤ人社会の権威者たちが、会議を開いています。「長老」というのは一般民衆の代表者でした。この日には、前日よりも地位の高い国の代表者たちが集合して対策を練ったのです。こうした弟子たちの復活の証言は、当時のユダヤ教にとって大きな脅威でした。神を素朴に信じていて、メシアの到来を待ち望んでいる民衆が大量にユダヤ教に背を向け、使徒たちの群れに加わってしまう恐れがあったのです。それはユダヤ教の衰退を意味しました。また、ローマ帝国の支配下では大きな社会的変化は好ましくないものでした。そして、それらすべては当時の支配者階級が持っていた既得権利を失わせるものでした。「自分らの階級的利益と勢力に打撃を加えられることを恐れて、使徒らを捕えて拘留したものと思われる。」[6] 彼らが一斉に集まって緊急会議を開いたのも当然です。彼らにとっては死活の問題でした。なにしろ、6節にあるように大祭司一族が大集合したのですから非常事態とも言えたでしょう。

それから、使徒たちの尋問が始まりました。これは、ルカ21:12以下に見られるイエス様の預言「迫害は証しをする機会となる」ということの成就でもありました。ルカはそれを意識していたでしょう。これは宗教裁判ともいえますが、もともと、使徒たちには罪はないのですから、彼らを有罪にするにはかなりの策略が必要だったでしょう。7節にある、尋問の初めは、使徒たちが何の権威によって説教したかでした。とにかく、あのような説教が彼らにとってはいまいましいものであり、宗教の権威である自分たちを無視し侮辱したものと映ったのです。彼らの論点はまさに、神を無視した地上の論理でした。つまり、われわれを無視して何であんなことをしたのだ、と責めたのです。どんな社会にも自分たちが中心でないと気が済まない人々がいるものです。

その際に、使徒たちの態度は素晴らしいものでした。正確に言えば、彼らが素晴らしかったのではなく、彼らが聖霊の導きに従ったことが素晴らしかったのです。この姿勢は、使徒言行録に一貫している思想であるといえます。人間の権威や、権利ではなく、聖霊が導くのです。信仰者はこれをまず知らなければなりません。無学なペトロは聖霊に満たされて、権威者たちを前にして臆する様子もなく、堂々と弁明しました。「それはどんな弱い者からも、力を引き出すことのできる、神の御業にほかなりません。」[7] ルターは学者でしたが脅迫を恐れず、宗教裁判にかけられた時に同じようにしました。ペトロは、障害者の癒しの奇跡に触れ、これは「あなた方が十字架につけて殺し、神が復活させたイエス・キリストの名」による働きなのだと明言したのです。そして、9節にあるように良い業のために不当な尋問を受けていると言ったのです。真理というのはどこでも立証できるものですが、人の前では言えないことはやはり後ろめたい偽りでしかないでしょう。どこにでも通用するものが真理で、一部の人にしか話せないことは真理ではありません。これはわたしたちの生活の基準ともなることです。ペトロは十字架と復活の真理が、神によるものであり、ユダヤ教の権威だとか許可だとかとは無関係なのだと明言しました。恐ろしいほどの信仰告白です。命がけです。わたしたちは、礼拝に際して、使徒信条や二ケア信条をとなえますが、それが命がけのことだったらどのように感じるでしょうか。皆で話し合ってみたいものです。

11節の「隅の親石」の部分は、ペトロが詩編118:22から引用したものです。これはイザヤ書28:16のもみられるものですが、大変に含蓄の深い言葉です。何故なら、例えば、詩編118の前半の7節以下には「主はわたしの味方、助けとなって、わたしを憎む者らを支配させてくださる。人間に頼らず、主を避けどころとしよう」と書いてあります。また、イザヤ書28章の14節には、もっと端的に「嘲る者らよ、主の言葉を聞け、エルサレムでこの民を治めるものらよ」と挑戦的な言葉が書かれています。イエス様がマタイ21:42でこの言葉を発した時にも、当時の権威者が憤慨したのも無理からぬことでした。ですから、「隅の親石」の比喩を聞いて、「祭司長やファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕えようとした」(マタイ21:45以下)、とあるのは、地上の権威に対するこうした批判的な意味が含まれていたからです。こともあろうに、ペトロは同じ批判をすることになりました。特に、詩編の原文とペトロの言葉を比較すると「ペトロが『あなたがた』という言葉を挿入していることに注意する必要がある。」[8] このような指摘は聖霊の働きとしかいえないことです。昔のペトロなら、もっと安全路線をとったはずです。けれども、彼は悔い改め、イエス様の復活の証人になっていました。失敗こそが新しい使徒を生み出したのです。「何度かのつまずきの中で、彼らは最後に、自分自身に絶望しなければなりませんでした。多くの人々がそうであるように、人は他人には絶望しても、自分にはなかなか絶望しないものです。」[9] 過去の彼ではなかったのです。わたしたちはどうでしょうか。

12節で、ペトロは救いの確かさが、イエス・キリストのみにあることを強調しました。それは、聖書の中心的命題であり、復活の証人としての彼自身が堅く信じることができたことでもありました。「ただイエスの中に救いがある。イエスは和解し、ゆるし、イエスは聖霊と永遠の命を授ける。誰もこのことのできるものは、ほかにいない。」[10] わたしたちの信仰観はここに立てられているでしょうか。ここで何度も、キリストの名によって、癒しの奇跡が行われたことが強調されています。どうやら、この証言は、一堂に会するユダヤ人指導者たちに強烈な印象を与えたようです。ひとつは、漁師の出身で学問の経験もないペトロが堂々と語ったことが信じられないようなことでした。13節の「無学な普通の人」の原語の意味ですが、「無学というのは文盲を意味し、普通の人と翻訳されているイディオテスというギリシア語は、社会の事柄には関心を持たない平民を示す」[11]、のです。神が人を新生させるということを彼らは知らなかったのです。「イエス様の弟子たちが彼らの恩師から、聖書の基本的な解釈方法を学んでいたことは確かである。」[12] 突き詰めて言うと、イエス様の宣教も使徒たちの宣教も、パウロを除けば、専門家ではなく聖霊に導かれた一般人による宣教だったことがわかります。「そして、この能力をイエスは弟子たちに分与したのであることは明白である。」[13] これは現代でも大切なことです。また、ペトロが語ったことは空理空論ではなく、14節にあるように、実際に癒された人がそこに証人として立っていたので、反論のしようもなかったのです。

さすがに、狡猾な彼らにも無実なものを有罪にすることはできませんでした。彼らにもまだ少しの良心は残っていたのです。そこで、ペトロとヨハネの処置は彼らだけが秘密に相談することとなりました。なにか、滑稽なようすでもあります。16節にあるように、権威者の心は神のご意志ではなく、人間的な利害で満ちていましたから、彼らの関心の第一は、エルサレムの住民が誰を支持しているかでした。

秘密会談が終了すると、使徒たちは再び裁判の会場に引き出されました。そして、権威者たちは使徒たちに、説教することと教えを伝えることを禁止しました。ただ、「人間の悪からさえも、善を生み出す神の不思議な御業」[14]があることを忘れてはいけません。迫害は彼らの信仰を強めたともいえます。ペトロとヨハネは人間の規則に縛られるようなことはありませんでした。ですから、19節で二人は、神に従わないで人間に従うことの是非を逆に問い返しています。「彼らは、そのことによって、サンヘドリンを神の権威をもってさばいているのです。」[15] 生きることも死ぬことも神の判断によることであって、自分たちは神の命じることを行うことに専念していたのです。彼らのこうした態度からわたしたちは何を学ぶでしょうか。皆で話し合ってみましょう。

21節を見ると、権威者たちは自分たちの命令を強制せず、ただ脅すだけにとどめました。これは執行猶予のようなもので、当時のユダヤの法律に従ったものでした。それに、彼らは民衆を恐れていました。この地上のものが神となっている偽りの信仰の見本ともいえます。最後に、ルカが癒された男の年齢が40歳を過ぎていたと書いてあるのは何故でしょうか。「40数年間もいやされなかった男がいやされたということは、神の力あるわざ以外にはありえないということなのです。」[16] 架空のことではなく、事実として、イエスのみ名によって癒しがなされ、どんな迫害や脅迫のも揺るがない信仰を持った信徒たちが生まれたことをルカは伝えたいのでしょう。

[1] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、615頁

[2]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、52頁

[3] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、98頁

[4] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、130頁

[5]  前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、617頁

[6]  前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、613頁

[7] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、65頁

[8] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、57頁

[9] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、134頁

[10] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、56頁

[11] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、101頁

[12] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、59頁

[13] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、102頁

[14] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、60頁

[15] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、151頁

[16] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、151頁

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