今週の説教

失望落胆しそうになったときに読む説教

「ワレ落胆セズ」     ルカ18:1-8

以前に起こったチリの鉱山落盤事故で2人目に救出されたマリオ・セプルベダさん(40)が、このように語りました。「ここにいることは素晴らしく幸福です。今回の事故に遭い、これからまた何があっても正面から立ち向かっていけます。自分の前には神と悪魔の両方がいて、私は神の手を離さず握りしめていました。決して神は私を見放さないと信じていました。」

今回の説教題は宮沢賢治風になっています。彼は法華経信仰に立った詩人であり童話作家でしたが、晩年には『銀河鉄道の夜』に見られるようにキリスト教の信仰を取りあげたようです。彼の有名な詩を味わってみましょう。

「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、決して怒らず、いつも静かに笑っている。一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず そういう者に私はなりたい」

この詩の最後に書かれている「そういう者になりたい」という実在のモデルがいたそうです。その人の名は斎藤宗次郎といいます。宗次郎は1877年、明治9年に岩手県花巻市でお寺の子供に生まれました。彼は小学校の教師になり、内村鑑三の本にふれて、聖書を読むようになりました。そして1900年冬洗礼を受け、花巻市ではじめてのクリスチャンになりました。この時代、キリスト教がまだ「耶蘇教」(やそ)となどと呼ばれ、人々から迫害を受けていた頃でしたので、クリスチャンになった日に、親から勘当されました。町を歩いていると「やそ」「ヤソ」とあざけられ、何度も石を投げられたそうです。彼はいわれのない中傷を何度も受け、ついには小学校の教師を辞めるはめになりました。また、宗次郎の長女はある日「ヤソの子供」とあざけられ腹を蹴られ、腹膜炎を起こし、数日後に9歳という若さで天国に召されました。それでも、彼は信仰を捨てずに、そこに生き続けたそうです。教師を辞めることになった彼は朝の三時から新聞配達をして生活をするようになりました。重労働の中、肺結核を患い何度か血を吐きながら、それでも毎朝三時に起きて、夜遅くまで働き、聖書を読み、祈ってから寝るという生活を続けました。このような激しい生活が二十年も続いたのです。それは、生まれたばかりの子が成人する時間の長さです。不思議なことに、こうした苦しい生活にもかかわらず、彼の体は支えられていました。 そして、実に明治から昭和43年までの91年間を生きたのです。

また、あのように自分の娘を失ったのにかかわらず、冬に雪が積もると、彼は小学校への通路を雪かきをして道を作りました。彼は雨の日も、風の日も雪の日も休む事なく、地域の人々のために働き続けました。また、新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めました。彼は自分の生き方として、第一にイエス、第二に周りの人々、最後に自分という優先順位をつけていたのです。やがて彼は、東京に引越しする事になりました。その彼を見送る人々の中に、以前は迫害する側だった町長や、学校の先生や、たくさんの生徒、また、町中の人々が集まりました。人々は、宗次郎がそれまで親切にしてきてくれた事をよく知っていて、最後に感謝をしにやってきたのでした。なんと、その群衆の中に宮沢賢治もいたのです。だから、後に「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩をつくったのでした。

今回の福音書で、イエス様は絶えず祈ることの大切さを教えました。主イエスは「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。」と譬えを語り始めます。おそらく異邦人の裁判官でしょう。神の上に立っている人間、自分が絶対正しいと思っている人間は少なくないものです。

ルカの福音書はいつも恵まれない立場にある者に着目します。やもめは社会の最も弱い立場をあらわしていました。そして、この女性は敵対者に訴訟をおこされていたので、正しい裁判をしてほしいと訴えたのです。彼女に優秀な弁護士を雇う資金はありません。ただ、この女性はただ単にしつこく粘ったということではなく、信仰に立った態度で求めたのだとイエス様は強調していると思います。別の箇所に書いてある、生活費のすべてであるレプタ二枚を献金した女性の態度と同じです。

不思議なことに、寡婦のように、弱く、困難な状況に置かれた人を、イエス様は選ばれた人だと呼んでいます。

そうなんです。選ばれた人なのです。そこに、わたしたちが困難にどう対応すべきかという秘策が隠されています。

仏教の悲しみ対策はこれでした。お釈迦様がある時、愛する子を失って悲しみに沈み、弱っていた母親に出会いました。この悲しみをどうしたらよいのかと尋ねられ、お釈迦様は、近隣のすべての家を訪れ、死者を出したことがない家があるかどうか探してみなさいと教えました。勿論、ありません。悲しみは誰にでも平等に起こります。それを自覚することも困難への対処法の一つでしょう。でもそれは、慰めになるでしょうか。それは、重い病気で苦しんでいる人に医者が最後にこう言うことと似ています。「昔なら結核、今らガンの患者が増えています。もしそういう病気でなくても、遅かれ早かれ私たちはみんな死ななければならない。それが万人共通の自然法則だから仕方がない。」一つのあきらめの境地を語るのではないでしょうか。これは諦念という考え方です。

イエス様は、違いました。イエス様は諦念を教えませんでした。弱さとか、つらいことは悪い事ではないと教えたのです。何故なら、それこそが選ばれた者のしるしだと考えたからです。イエス様も寡婦以上に何も持たない神の人でした。裸にされ、侮蔑され、虐待された十字架上のイエス様にそれがハッキリ現れています。選ばれた人、それはイエス様でもありました。しかし、最後まで求め続けた人でした。旧約聖書の創世記にも、神の使いと取っ組み合いをして、祝福を求めた続けたヤコブの話が出ています。何もなくても、弱くても、神を信じ求め続けることが大切だというのがイエス・キリストの教える信仰のコアなのです。

さて、最後の部分で、「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」とイエス様は問われています。主イエス・キリストが再び来られる時、神の国が完成するわけですが、そのときに、私たちの信仰が見られるかどうかが、が問題になる訳です。

聖書の中心点は、わたしたちの祈りの努力や、宗教的な熱心さではありません。この部分は誤解を生みやすい部分です。むしろ大切なのは、救い主イエス・キリストの福音です。救い主において、わたしたちの深層心理にあるあきらめの思想、悪魔のだましや策動が終わり、命が始まったということです。落盤前のチリの鉱夫は削岩機を手放しませんでしたが、絶望の暗黒のなかでは、信仰にたって神の手を離しませんでした。「雨にも負けず」のモデルになった斎藤宗次郎も、子供を蹴り殺され、迫害を受けても、重い病気になっても落胆セズ、神と人に仕え、信仰を手放しませんでした。彼らはイエス様の教えた信仰によって、新たに命を与えられたのです。ヘブライ人の手紙11章にある通りです。

わたしたちから神に至る道は、主イエス・キリストの執り成しがあるので決して遠くはありません。神はわたしたちの近くにおられます。不正な裁判官とは違って、正しい裁き手である神が、絶対愛によって、罪あるわたしたちでさえ正しい者として救出してくださるということです。罪があっても罪のない者としてくださる。悲しみがあっても悲しみのない者としてくださる。これが福音です。神の下には赦しがあります。神だけが、悪や禍から救ってくださいます。死を命に転換してくださいます。絶対愛は、神の属性であり、これを信じる者に永遠の命が実現します。これを信じなさいということです。

ヨハネ17:15に書いてあります。「わたしがお願いするのは彼らを悪いものから守ってくださることです。」願い続ける寡婦の姿はまさにイエス様の姿でした。また、ルカ22:32にもあります。「しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」わたしたちは弱い存在ですが、イエス様に励まされ、雨にも負けず、風にも負けず、どんなときにも落胆せずに祈り続けることが、神の賜物として、み言葉を通して豊かに与えられています。

 

 

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