黙示録と「F‐16」という映画
コロナで外出を控えていることもあって、映画のビデオを借りてきて見ました。「F-16」というタイトルなので、「トップガン」のようなものかと思っていました。大空を超高速で滑空する機体は異次元的な感覚をもたらします。しかし、全く違いました。これは、ある種の信仰心をもって、ジェット機に搭載した核兵器で、自分が侮蔑する「堕落都市」ラスベガスを消滅しようとした、ゴードンをいう若いパイロットの話でした。たしかに新約聖書の末尾にある黙示録には、神から遣わされた天使がこの世の悪を滅ぼす場面があります。映画の中のパイロットは、自分が神から遣わされたその天使だと思っていました。思い込みもここまでくると、精神が病んでいるとしか思えません。しかし、どんな宗教であっても、狂信者の発生を抑えることはできません。特に、原理主義という極端な教えが生まれやすいものです。アメリカ社会はそれを知っています。また、この映画の製作者もそれを知っています。最後に、この若いパイロットの元教官だった人が、ラスベガスに接近した彼のジェット機を撃墜します。ジェット機には核爆弾が搭載されているので、それを攻撃すれば自分も爆死することを知りつつ、ラスベガスに住む人々を救うために彼は犠牲になりました。管制官が彼と最後に無線で会話した時に、撃墜の時の犠牲を知っていた管制官は「神がマットと共にいてくださるように」と祈りました。本当の神の使者は、ゴードンではなく自己犠牲をもいとわなかった元教官だったのです。それを、この映画は伝えたかったのかなと思いました。真実の信仰とは何か。新約聖書では、特にそれをイエス・キリストとユダヤ教の権威者たちとの対立を通して示しています。