ハロウィーンと宗教改革について考える説教
「宗教改革の意味」 ヨハネ2:13-22
今回の旧約の日課は、ヨシア王による改革の記事です。今から約2600年前のことです。当時、エルサレムの神殿には、カナン地方や、アッシリア地方の神々の像が置いてありました。人々はそれに疑いを持ちませんでした。いろいろな神を祀っておいたら御利益が多いと考えたのでしょう。わたしたちの人間性からは当然の発想法です。いわば、神とは一種の守護府ですね。
しかし、改革のきっかけとなったのは神殿で発見された律法の書、つまり申命記でした。列王記下22章11節に書いてある、「王は衣を裂いた」という表現は、悔い改めのしるしです。神の言葉が、王に強い衝撃を与えたことがわかります。つまり、神への礼拝はあったのですが、22章13節にあるように、それは自分勝手な儀式であり、神のお告げには耳を傾けていなかったことへの反省でした。わたしたちの時代にもこれは言えるでしょう。こうして、悔い改めたヨシア王の時代には、国家の意識が強化され、外国の侵略でイスラエルが滅びることはありませんでした。つまり。ヨシア王の改革はみ言葉に聞くことから始まったわけです。宗教改革も同じだったと言えるでしょう。
その後600年たったイエス様の時代はどうだったでしょうか。ヨシア王の時代のエルサレム神殿は後の戦争で破壊され、廃墟になっていましたが、バビロン捕囚から帰った人々がまたそれを修理しました。しかし、あまりにもみすぼらしいものでした。そしてイエス様の時代には、強大な権力を手にしたヘロデ大王が新しく神殿を再建しました。それはローマ帝国の支配に悩む人々の心の支えになりました。彼らの誇りでもありました。神殿が人々の支えになると、そこでの儀式も重要になってきます。儀式の中では、罪の贖いのための動物の犠牲が大きな位置を占めていました。ユダヤ人は神に対して犯した罪の問題に敏感でした。この伝統は、今でもカトリック教会の告解などに継承されています。無信仰な人にとっては、法律さえ犯さなければ、強い罪の意識は生まれてきません。さて、地方から礼拝に来た人々は、そういう事情もあって神殿の周辺で、お金を出して、犠牲の供え物を買ったのです。ですから、ヨハネ福音書2:14にあるように神殿はある意味で巨大なスーパーマーケットのようになってしまいました。イエス様はその状況を問題にしました。礼拝の場が商取引の場になっていたからです。ヨシア王のときも似ていました。天地創造の唯一神の礼拝の場なのに、被造物に過ぎないニセモノの神、つまり偶像が所狭しと並べられていたのです。たくさんの神々を礼拝すれば、それだけご利益が多いだろうという、きわめて人間的な発想です。しかし、これを批判したイエス様は十字架にかけられました。
その後1500年ほど経ちました。キリスト教はドイツにも伝わっていました。中世にはローマ教会が権力をふるっていました。エルサレムの神殿はなくなっていました。しかし、当時のカトリック教会は救われるためには良い行いが重要だと説いていました。清く正しく生きない限り魂は救われないというのです。これも、普通の人間が、普通に考える発想に過ぎません。いわば勧善懲悪です。日本では、聖書をそのように考えている人も少なくないでしょう。おそらく、これを読んでくださっているあなたの心の隅にも、「自分が正しくなければ救われない」という人間的な考えが潜んでいるかもしれません。それは間違いです。人間の魂を神殿に例えるならば、そこには罪を贖う絶対愛の唯一神ではなく、自分の良い行いという偶像がたくさん並べられているだけです。ヨシアの時代には異教偶像、イエス様の時代には贖罪商品、宗教改革当時は、善い行いでした。ですから、ルターの時代の教会にもいろいろな聖徒(良い行いを公式に認められた人)の像が並び、人々は病気回復や商売繁盛の聖徒の像に祈りをささげました。
ルターは、1483年11月10日、ハンス・ルターとマガレット・ルターの次男として生まれました。それから宗教的な家庭の雰囲気の中で信仰心を持つことができました。大学に通っていたある日、強い雷を経験してから、法学を学ぶ自分の夢を捨てて、神父になることを決心しました。そして、厳しい修行を強調する「アウグスチヌス派」のある修道院に入って修行を始めました。
修道院では厳しい修行とともに毎日、罪を一つひとつ告白することを強調しました。ルターは、その教えに従って徹底的に罪を告白して、がんばって修行に取り組みました。しかし、彼の信仰はやがて壁にぶつかりました。彼は振り返って次のように言いました。
「もし、誰かが修行を通して御国に行けるならば、その人は自分だと思います。しかし、毎日の罪の告白により、私の良心は赦しより、かえってもっと神の「永遠の刑罰」を感じるばかりでした。」ルターは聖徒の像や、人間の良い行いでは救われないと実感しました。彼は懸命に、聖書をさらに深く研究し、聖書に救いを求めました。
その後、ルターは1512年に29歳の若さでウイッテンブルグ大学の神学博士になり、教授として神学の講義をしましたが、彼の信仰の葛藤は依然として変わりませんでした。そんなある日、ローマ人への手紙1:17の御言葉が、彼の心に響きました。「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。正しい者は信仰によって生きる、と書いてある通りです。」
行いや罪の告白によって罪を解決できないまま、絶え間なく罪の意識で苦しんでいたルターは、信仰によって義人と認められる福音を悟り、生まれ変わることができました。ガラテヤ書の日課5章4節で、律法によって義とされようとするなら(つまり善い行いで救われようとするなら)、救い主とは縁もゆかりもない、偶像で満ちた神殿のような人間になるとパウロは教えました。大切なのはイエス・キリストに対する信仰、イエス様がどんなに罪ある者の心にも宿ってくださり、清めてくださるというイエス様中心の信仰です。つまりこれは無力者の信仰です。自我の放棄ともいえます。人間の心の中には、人間的な発想から生まれるさまざまな偶像が置かれているでしょう。ヨシアの時代の神殿のように。また、イエス様の時代の第二神殿のように。そして、信仰の救いを知る前のルターも同じでした。キリスト教の救いを知るまでのわたし自身も同じでした。つまり、神ではなく、自分自身が基準となっているのです。まさに、人間的発想です。ですから、宗教改革とは、この人間的発想が、聖書の言葉に照らされて、滅び去ったという出来事なのです。ルターが品減的発想で、カトリック教会を改革しようと企てたのでもありません。聖書の言葉が、社会を変革させたのです。わたしたちが救われるのは、罪人のために死んで、3日目によみがえりわたちたちの心に宿ってくださるイエス様を信じる信仰だけです。
ルターは聖書を通して信仰によって救われることを再発見しました。彼はそのときの感動を次のように述べました。「私は、パウロのこの御言葉にしつこいほど執着し、パウロが言いようとすることをがんばって知ろうとしました。ついに神の慈愛によって、み言葉の文脈がわ かりました。『神の義が啓示されていて、』『義人は信仰によって生きる』ここで、神の義とは、信仰によって生きることであること。それは、私の行いではなく、キリストの賜物として与えられること。それがわかりました。その瞬間、私は新しく生まれ、開かれた門を通して、パラダイスに入ることを感じました。」
信仰によって神の義を得たルターの心は熱く燃えました。ルターは自分が教える人々に、お金を出せば罪が消えるという免罪符は嘘であることを主張しました。そして、1517年10月31日に「95ヵ条の論題」を教会の玄関に掲示し、それまでの人間的発想に染まった既成宗教とぶつかる、宗教改革の幕が開かれたのです。
また聖書にもどりましょう。イエス様は言われました。「わたしが道である。わたしが真理である。」つまり、あなたの行いで救われるのではないのです。神の絶対愛の赦しによって救われるのです。これを悟ったら、眠れぬ夜は消えるでしょう。自責の念は消えるでしょう。いじめなどの外圧への恐怖も消えるでしょう。自分ではなく、神ご自身が改革して下さるからです。わたしたちに必要なのはただ一つです。それは、神の絶対愛への信仰です。
また、宗教改革の意味は新しい神の宮の所在が示されたことです。絶対愛への信仰によって、あなた方は「神の神殿であり、神の霊が宿っている」ものとなることです。(第一コリント3:16)あなた自身が、キリストの体である教会だというのです。コロナで、地上の教会に行けなくても、あなた自身が教会なのです。信仰があれば、どんなに罪深くても、本当に救われます。それは罪の贖いとなったキリストを受け入れるからです。この喜びがわかった方は、ハロウィーンで浮かれてばかりいないで、周りの人に福音を伝えましょう。