聖書研究

神に委ねる生き方を聖書から学ぶ

使徒言行録5章17節-42節   文責 中川俊介

前回学んだように、新しく伝道意欲に燃えた使徒たちは、禁止された場所であっても宣教活動することをあえて避けることはありませんでした。それに対して権力者が黙っているはずはありません。特に、サドカイ派と呼ばれている人々は、復活を信じていませんでしたから、使徒たちの伝道に懐疑を抱き、また彼らの活躍を妬んでいたのです。「ねたみに満たされたのは、彼らが否定していた超自然的な力を、使徒たちが発揮し、それによって多くの人々を救いに導いていたからです。」[1] また、大祭司の眼にも使徒たちの働きは異端的なものとして移ったでしょう。「イエスの弟子たちに対する攻撃は、大祭司および、彼と結ばれている祭司族の人たち、すなわちサドカイ党から出てきた。」[2] つまり、復活を信じない者が復活を信じる者を迫害してきたのです。18節にあるように、迫害者たちは使徒たちを逮捕し、牢に入れました。使徒を弾圧すれば運動を鎮静化できると考えたのでしょう。彼らがどういう罪状で告訴されていたのかは不明です。おそらく、騒乱罪とか異端に対する弾圧の法律があったのでしょう。ここにおいて、その後数百年続く迫害の時代の火ぶたが切られました。キリストの十字架は勿論ですが、キリスト教は迫害と試練の中で成長していった宗教でもあります。それは何故でしょうか。皆で考えてみましょう。それを知ることが聖書を学ぶ者の糧なのです。

この地上の牢獄は、使徒たちの伝道熱意を閉じ込めることはできませんでした。19節以下には天使が登場し、使徒たち全員を監獄から解放したとあります。そこで特に奇異に感じるのは、天使が使徒たちに神殿に行って伝道を続けなさいと命じたことです。神殿境内で伝道したことで彼らは逮捕され拘束されていたのに、天使はまた彼らが同じことをするように命じたのです。それだけではありません。「命の言葉」を残らず伝えることをためらってはいけないというのです。「彼らの言葉はいのちを与える、それが罪から離れさせ、キリストへと導くからである。」[3] 弾圧を恐れず、命の言葉を第一とするのです。教会の使命も同じです。天使の与えた優先順位は、この地上の安全生活ではなく御言葉による万民の救いでした。わたしたちの優先順位は何でしょうか。皆で考えてみましょう。

21節には、天使の指示に従った使徒たちは、隠れ家に逃亡するどころか、まだ早朝なのに神殿にいって伝道を始めたと書いてあります。「神殿とは神がイスラエルの民に自己を啓示するために選んだ特別な場所であった。」[4] この点から考えると、神はこのとき使徒たちを用いて、神の救いを表したともいえます。一方で、迫害者の側もここで屈服することは彼らのプライドがゆるさなかったでしょう。最高法院(サンヘドリン)を招集したということは、使徒たちを死罪にするためでした。また、イエス様の復活を信じ、伝道する人々を根絶やしにするためです。結局、キリスト教はユダヤ教にとって異端だったのです。ところが、法廷に出させるために係官が牢に行ってみると使徒たちはすでに解放されて、そこにはいませんでした。一旦は、脱走したと思われたことでしょう。ただ、この時の報告をみますと、脱走のようでもありません。監獄には何の異常もないのに、囚人である使徒たちがいなかったのです。不思議な力によって牢の壁を通り抜けたのでしょうか。救助する者がきたのでしょうか。人間の知恵では理解できないことです。つまり、天使の働きとは人間に把握できない神の働きなのだと思います。24節には、この報告に接した警備担当の責任者が大変に戸惑ったことが伝えられています。神の奇跡ですからありうることなのですが、神を信じない人々には理解できません。皮肉なことに、神に仕える祭司長たちが神を理解できない者だったことがわかります。

ところが、彼らの戸惑いと驚きをさらに大きくする報告が入りました。なんと、逃げたはずの使徒たちが懲りずにまた神殿で教えているというのです。そこで、彼らを再び逮捕することとなりました。その時も、民衆の反感を恐れていたことがわかります。ここに人間心理が面白いように描写されています。やはり世俗の社会では力関係なのでしょう。弾圧するものは、自らが反撃されることを極度に恐れます。反撃が抑圧よりも強くなれば革命となってしまうからです。現代の政治の世界でも同じです。

27節以下には、連行された使徒たちが審問された状況が説明されています。権力者の長である大祭司が第一に詰問したのは、なぜ使徒たちが大祭司命令を無視したかでした。伝道を禁止していたのに、その命令を平気で破ったからです。権力者にとって自分たちの命令は絶対でした。すくなくとも、それまでの彼らはそう思っていたことでしょう。生命を脅かせば誰でも黙従するはずでした。しかし、それを恐れない新種の人々が出現したのです。それに、教えをひろめるなかで、使徒たちはイエス様の十字架の責任が権力者にあったと告発していたのです。ある面では、こうした権力との直接対決は昔の預言者の時代にはあったことです。預言者は王の悪も告発しました。しかし、預言が途絶えてから数百年が経過していました。地上の政治に神の直接介入があるという事態は、旧約聖書の中だけでのことだったのです。地上と天上の分離です。わたしたちの心の中の権力構造ではどうでしょうか。地上のものと天上のものが分離されているでしょうか。それとも、日々の生活に啓示を覚えることがあるでしょうか。その点を考えてみましょう。

29節に使徒たちの答弁が出ています。ペトロが中心でしたが、彼だけが勇敢に答えたわけではなく、すべての使徒たちが聖霊に満たされ、恐れなく語ったのでしょう。「神に従う者たちに、神は御霊を与えられた。」[5] 彼らの新しい思想は神からきたものでした。人間に従わず、神に従うこと。神の命令に基づいて人間の命令があるならば、それは無視すべきではないでしょう。刑法と十戒は無関係ではありません。しかし、イエス・キリストの十字架と復活を伝えるなと命じられたら、使徒たちはハイと答えることはできなかったのです。「真の権威者である神に従うためには、わたしたちはいつでも『人に従う』ことをやめなければならないのです。」[6] 十戒の最初の三戒です。30節に復活のことが述べられています。この場合も、神は一般論としての神ではなく、「先祖の神」であるというのは興味深いことです。アブラハム、イサク、ヤコブの神なのです。彼らも数奇な生涯をとおして、神に従った人々でした。ここでは、神なしに怒り狂っている指導者たちに、そうした先祖の神を思い起こさせる意図もあったことでしょう。31節にあるように、キリストの復活は、悔い改めと赦しの為、つまり神とイスラエルの民との関係の回復のためでした。「使徒たちはまさにこの福音のメッセージを、法廷での弁明を良い機会として用いて、彼らを告発する人々に告げたのです。」[7] これは、神学では救い主に関する和解論としてまとめられている分野です。罪とは神との関係の断絶であり、救いとは、救い主の贖いによる神と人との関係の和解なのです。他には和解の方法はないのです。これは人間関係でも言えることです。わたしたちは和解の人間関係に生きているかどうかを考えてみたいものです。

32節にあるように使徒たちはこの和解の事実の証人だったのです。和解が抽象的なものに終わらず、現実であるためには、証人が必要です。空虚な理論ではなく生きた実例が証人です。またそれらの証人には聖霊が不可欠でした。使徒たちが人間ではなく神の従ったのも、聖霊の働きです。ここでペトロは、神に従う者に聖霊が与えられていることを強調しています。やはり、人間のはたらきではなく、神の働きなのです。

使徒たちの弁明は人々を怒らせました。33節にあるように、それは殺意にまで達していきました。「彼らが怒り狂ったのが当然だと言うのは、自分たちの権威が否定され、自分たちのメンツが傷つけられたという点で、彼らの罪がとる当然の態度という意味にほかなりません。」[8] 自分の意にそぐわない者を、無視したり嫌ったりするのは、罪ある人間の姿です。ところが、ここで事態が急転します。「不思議なことに、激しく怒る議会の中にも、冷静な判断をする人を、神は置きたもうたのであります。」[9] ファリサイ派です。彼らの信仰は、神による復活を信じる信仰でした。であるとすると、イエス・キリストの復活も教義上は不思議ではないことになります。それだけではなく、復活が本当に起こったとすると、それを証しする使徒たちを迫害することは大罪になりかねません。これはゆゆしい問題です。そこで、ガマリエルという人望のある人が議員たちだけの密室協議を提案しました。「彼は最も著名なパリサイ派の学者で、律法学者ヒルレルの孫にあたる。」[10] 殺意にあふれ怒り狂っていたサドカイ派とは一線を画する態度でした。少数派でしたが議会の権力者の側にも神を信じる人々がいたのです。それは当然と言えば当然でしょう。そのガマリエルは故事をあげて人々を諭しました。テウダの反乱とガリラヤのユダの反乱です。テウダは自分が預言者だと主張しました。ユダは熱心党の運動の創始者であり、ローマに抵抗する政治的活動家でした。しかし、どちらも鎮圧されて消えてしまいました。ガマリエルが主張したのは、人間的な反抗は消滅するが、神からのものならば消滅させることはできないということです。「人間がすべきことは神に従うことであり、神にすべてを委ねることである。」[11] そして、最後に、「諸君は神に逆らう者となるかもしれない」という39節の言葉が決定的でした。サドカイ派といっても、あえて神の権威を否定することはできなかったのでしょう。ここで、この密室協議の内容がどのようにして使徒たちに伝わったかは不明です。「たぶん、ガマリエルは彼の演説の内容を、タルソ出身のパウロに伝え、パウロはそれをルカに伝えたのであろう。」[12](使徒言行録22:3参照)それはそれとして、実際に、この時点から約40年後にエルサレムはローマ軍に攻撃され、神殿も都市もすべて破壊されてしまいました。ガマリエルの言葉どおり神の働きは歴史の中で示されるものでした。ですから、ガマリエルの言葉は一つの預言であったとも言えます。この時に、議会の人々はガマリエルの言葉に従いました。「キリスト教の救いは、神からのものか、さもなければ人間が作り出したものか、そのどちらかです。」[13] わたしたち自身は神に敵対するものとなってはいないでしょうか。皆で考えてみましょう。

40節以下に、その後の使徒たちの処置が書かれています。彼らは鞭で打たれた後に釈放されました。「この処罰は決して軽いものではなく、例外的ではあるが死者がでる場合もあった。」[14] やはり、以前と同じ伝道禁止命令が出ています。しかし、ガマリエルの発言の後には無力に等しい禁止命令だったことでしょう。「このような神の大きい経綸に守られて、イエスの福音は世界に伝えられ、広められていったのである。」[15] その後、彼らは迫害を恐れるどころか、イエス・キリストのために苦しみを受けたことを喜んだのです。これは、まさに聖霊の働きでしょう(ルカ6:22以下参照)。聖霊は恐れの霊ではなく喜びの霊です。「生きることについての深い喜びというものは、魂が満たされるときにのみ与えられるものです。」[16] キリストの苦しみを分与される価値あるものとされたからです。小さなキリストの誕生です。42節には、彼らが再び神殿に行ってイエス・キリストの福音を伝えていたことが書かれています。それは一時的な喜びではありませんでした。福音が本当に福音となったのです。

[1] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、194頁

[2]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、69頁

[3]  前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、70頁

[4] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、118頁

[5] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、72頁

[6] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、204頁

[7] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、120頁

[8] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、210頁

[9] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、84頁

[10] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、73頁

[11] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、124頁

[12] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、67頁

[13] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、212頁

[14] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、124頁

[15] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、632頁

[16] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、215頁

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