閑話休題

YS11の機首が新幹線MAXの先頭車両とそっくり

所沢市に、航空公園駅という珍しい名前の駅があります。その名の通り、航空機が陳列してある公園の近くの駅だからです。それだけではありません。1964年に、それまで米軍によって禁止されていた航空産業が復活して戦後最初に国産製造されたYS11という飛行機の現物が、駅前の広場に展示してあるのです。この飛行機をみていると、どうも、新幹線の先頭車両を彷彿させられます。1964年の初期新幹線は、どちらかというと弾丸型でしたが、後の新幹線MAXなどは、どうみてもYS11と酷似しています。それは、空洞実験などで最も空気抵抗の少ない形を追求した結果、こうした究極の型になってしまうのでしょう。それは、一つの原理をあらわしているかのようです。飛行機であろうと、車両であろうと、高速で移動する物体にはふさわしい型があるわけです。宗教も同じです。キリスト教、イスラム教、仏教などをみても、宗教ですから高速で移動するわけではありませんが、悩める人の心に悟りを与える共通の原理があるように思えます。その一つは、「引きカメ」の原理です。これはテレビ撮影の現場からの用語のようです。メタ認識とも呼ばれます。例えば、ある人が悩みに苦しめられている時に、その人の目線は知らず知らずのうちに、接写カメラになっているのです。悩みの原因が、貧困や病気や、いじめなどの人間関係だったとしても、それが接写カメラで心の中に辛く起きい映像を投じているにちがいありません。これを苦にして自殺する人もいます。ところが、カメラ目線を後ろに後退させていったらどうでしょうか。引きカメラ(引きカメ)ということです。自分を悩ましていたあれらの映像は、どんどん小さく小さくなっていくはずです。すべての宗教には、この引きカメの原理が共通していると言えるでしょう。それが、アラーであれ、キリストであれ、仏であれ、神仏という遠くの視点に心の焦点を持って行くことによって、悩みの原因は極端に矮小化され、時には陳腐なものにさえ見えてくるのです。わたし自身もこの恩恵をうけていますので、本当にそうだといえます。ですから、信仰とは、自我の視点を捨てて、神仏からの引きカメ視点を信じることなのです。航空機や新幹線が、空気抵抗を避けて効率的に移動できるのも、実証された型があるからです。宗教にも、定型があると思います。この世の乱気流を乗り越えて飛び、幸せな人生を実現する共通原理があるからこそ、古今東西の宗教者の教えが今も伝えられているのです。わたし自身も、もっと若ければ、宗教学を研究してみたいところです。

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