聖書研究

偶像礼拝(神以外のものを崇拝する誤り)を批判したステファノの神学を聖書から学ぶ

使徒言行録7章30節-60節    文責 中川俊介

ステファノの説教は続きます。「ステファノの説教は、新約聖書の中に記録された、もっとも幅広いイスラエルの歴史である。」[1] 彼は、モーセがシナイ山で神の啓示を受けたことを述べました。前回学んだように、モーセは同胞のユダヤ人から憎まれ、自分の身の危険を感じてエジプトから逃げたのです。そして、ひっそりと身を隠して生活したのですが、40年の歳月が流れました。「人間は弱められ、自分のものに絶望しなければ、キリストの宝を受けることはできません。」[2] モーセも歴史の流れから姿を消したかのようでした。しかし、神の時は終わったのではなく「満ちた」のです。そして、天使の突然の出現によって新しい時(カイロス)が始まりました。31節にモーセの驚きが記録されていますが、それまでの40年間がある面で沈黙の40年間だったからこそ、彼の驚きも大きかったのではないでしょうか。火もつけていないのに柴が燃えていて、その中に天使がいたのです。そして、声が聞こえました。神の声です。この神は、抽象的な神ではなく、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」なのです。モーセは声を聞いただけで恐れました。

33節以下では、神からの指示が書いてあります。神はモーセに聖なる領域に入る意識を持たせます。そして、そこで神は、ユダヤ人が置かれている苦境から彼らを救うために現れたと告げました。神が救いの神である所以です。この神の救いは、新約聖書の時代にまで続くのです。「つまり、モーセはキリストのひな型ともいうべき生き方をしているのです。」[3] その救いの実現には、人物が必要です。モーセはそのために選ばれました。モーセは若いころ、ユダヤ人を助けたいと願っていたかもしれません。「わたしたちが肩をいからせている時は、いつも駄目になります。なぜなら、そこには神がいないからです。」[4] しかし、その夢が砕かれ、40年も経た後で、今度はモーセではなく神が救いの業のために彼を選んだのです。選びということも聖書に一貫したテーマです。人々が捨てた人物を神は拾い上げたのです。モーセですら人間には捨てられたとステファノは強調します。「ステファノは、はるかに越えてイエスの歴史をはっきりと見とおしている。」[5] そして36節でモーセの指導力が優れていたことを述べます。多くの奇跡があったものと思われます。ユダヤ人の性質は思想ではなく、現実の出来事を重視するところにあります。37節にある「イスラエルの子ら」という表現はユダヤ人のことを示しています。そして、モーセは神が次の指導者を立てると告げました。ここにも明らかなように、モーセは偉大な指導者でしたが、次の指導者を立てるのは彼ではなく、彼を立てて用いてくださった神なのです。モーセは指導者でしたが、その役割の中で重要なのは「命の言葉」を神から受け、人々に伝えたことです。それはモーセによって語られたものでしたが、モーセのものではなく、命の与え主である神からのものであったのです。

ここまでは、ユダヤ人でしたら幼いころから聞いている出エジプトの物語であり、特に反論すべきこともありません。ステファノが正しい歴史理解と神学を持っていたことが印象づけられます。しかし、次の39節からステファノは本題に入っていきます。モーセの時代のユダヤ人も神の言葉を大切にせず、モーセに反抗し、自分たちでアロンを選び、偶像を拝むことを求めたのです。「またここでもいかに神の御言葉のゆえに、自分が告訴されて彼らの前に立ったかと、自分自身の状況を考えているのである。」[6] 荒野での生活を嫌悪したのでしょう。41節には、その頃に造られた黄金の雄牛の像の事が書かれています。「しかし、こうした態度の行き着くところは、ステファノの見解によれば、金の雄牛や天体の露骨な崇拝にとどまらず、神の子自体の拒否ということでした。」[7] ユダヤ人は自分たちで造った神でないものを神として拝み、歓喜しました。これは、なんだか現代文明を想起させるものです。人間は自分が創造した神像だけでなく、優れた技術の結晶を賞賛し、様々な賞を与えて賛美の声を上げるのです。「生活の中でわたしにとって一番大事なもの、それが偶像になります。悪魔はそれにとびつき、あなたを神から離れさせます。」[8] それは、古代のバベルの塔の時も同じでした。彼らは叫びました、「さあ、天まで届く塔のある街を建て、有名になろう」(創世記11:4)。これも人間礼賛です。人間性とは変わらないものです。何故そうなってしまうのかを皆で考えてみましょう。

42節に神の対応が書かれています。神の策は放任でした。神はあえて彼らの悪行を止めようとしませんでした。金の像を拝んだり、空の星を拝むままにしたのです。そこで、ステファノはアモス書5:25以下を引用し、神を忘れておごり高ぶった人々に審判が下ることを告げます。ユダヤ人はモーセを自慢し、イエス様の弟子たちがモーセを否定しているなどと訴えていましたが、彼らの祖先は、実際は、モーセに逆らい、神に逆らったのです。「それゆえ、今また彼らのイエスに対する反抗も、ステパノを動揺させることはできなかった。」[9]

ここまで話すと、ステファノは神殿について語り始めます。イエス様の弟子たちが、神殿を否定していると訴えられていたからです。ですから、この部分も単なる歴史の回顧ではなく、弁明の説教になっているのです。神殿の先駆は幕屋でした。それはモーセの時代に、彼が勝手に設計したのではなく、神のお告げに従って造営したものです。幕屋の中心は「あかしの箱」であり、その中に十戒の石の板二枚が収められていました。この板こそ神の御心を示す物なので「あかし」なのです。現代の教会の礼拝でも、御言葉と説教がその中心であるのは同じです。その実は、御言葉の受肉としてのキリスト中心ということなのです。神殿の中心も、ですから、キリストです。ステファノは、直接には語らなくてもイエス・キリストの復活後にはすべてが変わったことを意識しています(マルコ福音書14:58参照)。さて、45節では、長い歴史を簡潔にまとめて、ヨシュアの時代から、約束の地カナンでの戦い、そしてダビデ王朝の確立まで、常に幕屋があったと言われます。それ「自体は幕屋なのであって、古びもし、破れもし、そのたびごとに新しいものと替えられていったことは、言うまでもありません。」[10] 伊勢神宮の建物が20年ごとに再建されること(遷宮)との類似性が見られ、興味深いことです。ステファノは、46節でも、ダビデが神の御心に従ったことを強調します。モーセもそうでした。神殿とは神の住まいの意味があったのです。そして、ソロモンが神殿を造営しました。それは、彼の信仰の豊かさの象徴ではありませんでした。

48節で、ステファノは自分の意見を述べます。「神の住まい」であると誰もが思っていた神殿には神は住んでいないのです。この論理も同じです。人間が選んだり、人間が造ったものに神は住まないのです。人間優先ではなく神優先なのです。「御心のままに」ということが、肉的な人間には承服できないのです。この点を皆で考えてみましょう。

ステファノは自分の意見ではなく、聖書を引用して論証します。これはイザヤ書66:1以下からです。そういう立派なものではなく、神は霊の砕かれた魂を尊ぶと書かれています。ですから、豪華な神殿などは、その他の人類の自慢の種と同様に、何の意味もなさないのです。聖霊ではなく、物質を神のように拝んでいるからです。聖書にも、神殿の否定が書かれているのに、人々は、学者であっても霊的なことが理解できませんでした。そのことを、ステファノは「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」という言葉で批判しました。ステファノにとって、彼らは聖霊を理解しないどころか、人間的なものを第一にして、聖霊に逆らってきたのです。そして、ステファノはさらに問題点をえぐりだします。52節で、ユダヤ人はモーセから多くの預言者にいたるすべての神の言葉の伝達者を迫害してきたのです。「預言者イザヤを鋸でひき殺し、預言者エレミヤを石で打ち殺した。」[11] イエス様も同じように教えていました(マタイ23:31参照)ユダヤ人は神に従う人々を殺してきたのです。52節の「正しい方」とはイエス様のことでしょう。「ルカはキリスト論的な告白を、法廷での弁証に組み込んだのである。」[12] すべての預言書はイエス様の到来を預言しているからです。そして、ステファノが言いたいことは、今彼の目の前に並んでいる人々が、まさに神に逆らった人々であり、メシアを殺害した者だというのです。彼らはモーセの時代から、神の律法を受けたのに、それを自慢の種にしただけで、実際はそれを守らなかったから、こうなったというのです。神のものをあたかも自分から出たもののように錯覚する誤り(自己の義)は誰でもあるでしょう。この点を皆で考えてみましょう。

初めは黙って聞いていたユダヤ人の権力者たちも、ステファノの意図が、歴史を通してユダヤ人が如何に神に反逆し、メシアを殺すような、霊の意味を知らない人々だという告発を聞いた時に、怒りが爆発しました。54節には、彼らが歯ぎしりをしたと書いてあります。その怒りの激しさが目に見えるかのようです。穏やかで、尊敬され、学識も高い人々が、ステファノの言葉によって一瞬のうちに悪魔のような形相になってしまったのです。それは、そうした性質が彼らの心に潜んでいたからです。イエス様が「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」(マタイ5:22)、と言われたとおりです。社会の頂点に立つ者たちは、神の裁きの対象者となってしまいました。

一方、ステファノは周囲の状況には一切関知しません。自分が伝えなければいけないことを伝えただけなのです。その意味で、彼は聖霊に満ちていました。55節にあるように、神の臨在とイエス様の姿を天に見ていたのです。「それは地上のものに対する無関心ではありません。この地上の真の解決は天をみつめることにあります。」[13]彼の言葉は、彼の言葉ではなく、神が彼に語らしめた言葉だったのです。

人々は、裁判を放棄し、ステファノを殺すために彼の所に押し寄せました。耳を手でふさぎ、これ以上神の言葉を聞かないようにしました。「自分が間違ったことをしているのだということを知っている人は、まだいいのですが、自分は間違っていないと思っている人ほど始末が悪いのです。」[14] そして、処刑するために、都の外に引きずっていって、石投げの刑にかけました。処刑場では、立会人が着物をサウロという若者の足もとに置きました。後の時代に、この若者が偉大な宣教者になることは誰も知れませんでした。しかし、その時を神は密かに準備しておられたのです。ステファノがギリシア語系ユダヤ人であって、その後パウロ(サウロ)がギリシア語系の異邦人に福音を伝えたのとは偶然ではなく。神のご計画だったことでしょう。また、石投げの処刑で息を引き取る前に、ステファノは自分に危害を加える者たちの赦しを神に願いました。「これは、クリスチャンが罪と神への不服従を認めず、話し相手を悔い改めに導く必要があるのと同時に、彼らに対する牧会的な関心を持つ必要があることを意味する。」[15] それは十字架上のイエス様の姿の二重写しでもありました。最後の最後まで、ステファノはイエス様の愛の教えに従っただけでなく、イエス様の働きがステファノを通して現れたのです。「ステファノが祈った人びとのうち、サウロにおいて、そのとりなし聞き届けられたのを、私たちは知っている。」[16] イエス様の命の種は死んでよみがえり、ステファノに現れ、やがてパウロに引き継がれ、現代に至っているのです。

[1] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、74頁

[2] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、110頁

[3] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、252頁

[4] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、113頁

[5]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、92頁

[6]  前掲、 シュラッター「新約聖書講解5」、93頁

[7]  F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、153頁

[8] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、114頁

[9] 前掲、 シュラッター「新約聖書講解5」、94頁

[10] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、262頁

[11] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、650頁

[12]  前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、77頁

[13] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、120頁

[14] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、274頁

[15] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、150頁

[16] 前掲、 シュラッター「新約聖書講解5」、99頁

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