ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート、ダニエル・バレンボイムのスピーチに学ぶ
今年は例年になくゆっくりしたお正月で、交響楽などを聞きました。その中で特に印象が深かったのは、指揮者のダニエル・バレンボイムが聴衆に向かってスピーチをしたことでした。彼の話は、最初はドイツ語でしたが、後半は英語にかえて世界中の人々にメッセージを発信しました。バレンボイムはユダヤ人で現在の国籍はイスラエルですが、パレスチナ問題に関しては、パレスチナ人を圧迫しているイスラエル政府のやり方を批判し、パレスチナ人の独立国家を承認するように主張しています。音楽家ではありますが、彼の考えには「忖度」はないようです。その彼の新年コンサートのスピーチが素晴らしいものでした。自分には同時通訳の声が邪魔になって、彼の生の声は聴きにくかったのですが、主旨はハッキリわかりました。良いスピーチというのは、テーマがしっかりしているので、多少は部分的に書けるところがあっても十分に理解できるものです。彼は、まず、コロナの中にあってもこのようにコンサートが開けることのすばらしさを強調しました。そして、コロナの働きの中心は人類の分断であるが、音楽はその逆の協力一致であると述べました。その時に、わたしは神の啓示を感じたように思いました。そうだ、神はコロナによって、既に分断した世界に,一致の大切さを示したのだ。そう思ったのです。つまるところ、コロナの拡散する前から、世界には人種による分断、戦争という分断、貧富の差という分断、性差別による分断、離婚による家族の分断、いじめによる人間関係の分断、そしてすべての分断の基にある神様からの分断(キリスト教用語では罪)があったのです。コロナは、その分断の悲惨さを示しました。人間に分断(罪)を克服する力はありません。分断を克服するのは愛(キリスト教用語では神のこと)だからです。特にキリスト教にこだわらなくても、仏教でも神道でもイスラム教でも、そこに真実の愛が存在するときに、病は癒され、家庭は結ばれ、社会は相互を尊重するものとなるでしょう。バレンボイムは、まるで交響楽の演奏者の一人一人が協力して美しい音色を形成しているように、世界中の人々が愛によって結ばれる日がくることを祈願したのではないでしょうか。新年にふさわしいスピーチでした。新約聖書でも使徒パウロが、全人類の一致という事を一つの体にたとえています。「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。」(第一コリント12:12-13)この文の後で、パウロは13章にある「愛の賛歌」を書いています。愛こそ、人類を一つに和解させる壮大な交響楽なのです。