印西インターネット教会

キリスト教が世界的な宗教となった背景

使徒言行録10章1節33節  文責 中川俊介

前回学んだように、ペトロはヤッファの皮なめし職人シモンの家に滞在していました。今回の記事に登場するカイサリアはヤッファの北の海岸都市であり、以前、フィリポが伝道した場所です。ヘロデ大王がローマ皇帝アウグストのために建立した町でもあります。そしてここにはローマ軍の大きな砦がありました。おそらく、1節に登場するコルネリウスもそこで働く兵士の一人だったのでしょう。彼は外国人でしたが、信仰心が厚く、慈善を行う人でした。彼一人だけではなく、彼の全家族がそうだったということは彼の生活が言行一致していたということかもしれません。「この彼の行為は、わたしたちの献金の時の大いなる教訓となります。」[1] 神から賜物を受けることを自覚した者は、喜んで捧げる者となるのです。また、彼はローマ軍の百人隊長(ケントゥリオ/センチュリオン)でしたが、それは重要な立場であり、行軍の際には馬に乗ることができ、駐屯地では家族と暮らすことが許されていたそうです。ただ、戦闘の際には、最先端の小隊指揮官だったために、死亡率がきわめて高かったそうです。コルネリウスは、ローマ軍と共に死線を越えてきた一人だったのです。そうした彼がどのように信仰を持つにいたったのかはわかりません。しかし、福音伝道の働きは、彼のような外国人にも広がっていたのです。「ルカの福音書で、ルカはカファルナウムでユダヤ人のために会堂を寄贈し、人々から尊敬されていた同じような百人隊長の事を書いている。」[2](ルカ福音書7:1-10参照)また、彼が神を畏れる者だったということは、割礼を受けて改宗した者ではなかったが、信仰は持っていたということです。日本にもクリスチャンではないが神を畏れる者は多いのではないでしょうか。ここでは特に、信仰と慈善のことが書いてありますが、これはコルネリウスの時代の敬虔なユダヤ人の生活態度でした。「この百卒長は、ユダヤ人から聖なる真理という豊かな宝を受けていた。」[3] わたしたちの存在が、日本の神を畏れる人々にどのような影響を与えているかを皆で考えてみましょう。

3節には、コルネリウスが天使の呼びかけを聞いたことが書かれています。おそらく3時というのは祈りの時だったのでしょう。いつもの祈りではあっても天使に遭遇するのは初めてであって、彼は恐れをいだきました。天使にその用件を聞いてみると、神がコルネリウスの信仰生活を喜んでおられること、それとヤッファに使いを送ってペトロを呼び寄せるようにと言われました。外国人のコルネリウスがペトロの事を良く知っていたとは思えません。それに、駐屯地の中で生活していたコルネリウスが、ヤッファでの出来事を知る由もありません。ですから、これらのことは、幻の中でコルネリウスに示されたのです。知りもしないし、会ったこともない人を招くとは一体どんなことでしょうか。「このように神は、初めから全部を語らずに、じょじょになそうとしておられることの全貌をあきらかになさいます。」[4] ですから、神さまは、時にわたしたちを未知の世界にいざなうことがあると思います。

天使は、コルネリウスに用件を告げると去りました。コルネリウスはすぐに行動に移りました。7節にあるように、二人の召使と信仰のある部下の兵士に命じてヤッファに行ってペトロを招くことにしました。わたしたちはどうでしょうか。神からの示しがあったら、すぐに行動に移るでしょうか。それとも、理由を知ってから、自分が納得できた時点で行動するでしょうか。あるいは、自分とは関係なくみえる神の啓示を無視するでしょうか。みなで話し合ってみましょう。

コルネリウスの部下たちがヤッファに近づいたのは翌日でした。カイサリアからヤッファまでへの直線距離が50キロだったことを考えると、細かい点ですが、聖書は事実に対して実に忠実にそれを記録しようとしていることが伝わってきます。「ヨッパへの旅は、ほぼ9時間を要した。そこでこの使者たちは、夕方にもさらに一行程進んで、翌日の昼頃ヨッパに到着した。」[5] そして、三人が町に近づいたときに、ペトロはお昼の祈りのために屋上にあがっていました。街並みの彼方には海も見えたでしょう。「彼の目前に、今後福音の宣べ伝えられるべき広き世界が展開したのである。」[6] 当時の家で、屋根が平らなものは、そこで静かに祈るのに格好の場所を提供したことでしょう。10節にあるように、昼食前のペトロは、階下で食事の用意がなされている間、屋上で意識が朦朧とした状態になりました。すると、11節以下の不思議な幻をみました。これも、コルネリウスに天使を送った神が示した幻にちがいありません。四隅を吊った布のような物の中には、ユダヤ教で食べることが禁じられている獣や爬虫類、鳥などが入っていたのです。豚などを食べてはいけないのはよく知られていますが、鳥類でも、ワシタカなどの猛禽類、フクロウ、サギ、ダチョウ、カモメなどの禁じられていた鳥があり、そうしたものが含まれていたのでしょう。ペトロの驚きはどれほどだったでしょうか。こんなものを調理して食べることができるのでしょうか。わたしたち日本人には食物規定はありませんが、普通には人が食べない奇怪なものを調理して食べなさいと言われたらどうでしょうか。どんなに空腹でも、答えはノーでしょう。ペトロは困った立場に置かれました。この異常な食物は、なんと天から降りてきたのです。勿論、彼は、食べることはできないと言いました。しかし、そこで話は終わりませんでした。再度、声がして、15節にあるように、神が清めたものを、清くないと言ってはいけないと命じてきたのです。これは大変なことです。ユダヤ人の食物規定は神からのものでした。詳しく言えば、旧約時代から守ってきたモーセの教えによるものでした。「前に書いたように、イスラエルの食物規定は、神によってモーセに与えられた律法の一部分である。」[7] ところが、ここで神から直接にお告げがあって、もともと神が定めた規定なのだから、神が清いとしたら、いままでどのように考えられてきたとしても聖いことは間違いないのです。人間の考えではなく、神の啓示が優先されるのです。これに類似するのが、罪人と聖徒との相関関係でしょう。罪人であっても、神が聖いものとしたなら、すでに聖徒なのです。ペトロに対する、そうした啓示も、一度きりのものではなく三度も繰り返されました。そこには隠された意味があったのですが、屋上にいたペトロにはまだ理解できませんでした。

17節にその後のことが書かれています。困惑するペトロに、出来事の意味を明らかにしたのは、再度の幻ではなく、コルネリウスの部下たちの到着でした。なんという偶然でしょうか。いや、それこそが神の御計画だったのです。「出会いの真理は、不思議です。出会いというのは、決して偶然ではありません。ただわたしたちが偶然と思っているだけです。」[8] そこに神の摂理をみることができます。さて、三人が家の玄関まで来た時にも、まだペトロは幻の意味と考えていました。自分は、禁じられた食物をどのようにして食べたらよいのだろうかと思案していたのでしょう。ヤッファは港町ですから、とりあえずカモメから食べてみようかと思っていたかもしれません。蛇やトカゲ、蝙蝠などを食べるのには抵抗があったでしょう。ところが、神の御旨はそういうことではありませんでした。異邦人のことです。あるいは、外国人と言ってもよいでしょう。彼らを同じ信仰に受け入れるという事だったのです。

それを示したのは、19節の「霊」でした。霊は、屋上のペトロを階下へ導き、コルネリウスの部下に会わせ、そして、カイサリアに行くように導きました。なんと不思議なことでしょう。ペトロがコルネリウスの部下に尋ねると、コルネリウスも神の導きでペトロに会うように促されたことを知りました。コルネリウスもペトロも、神が福音伝道に用いる器として選ばれたのです。そして、神の導きによって、出会うことになったのです。おそらく、その日はもう遅くなっていたので、旅には不向きだったのでしょう。23節にあるように、コルネリウスの三人の部下たちは皮なめし職人シモンの家に泊めてもらいました。「異邦人に快く面会しただけでなく、宿泊までさせたというのであるから、ユダヤ人として異常に寛大な心をペテロがもったことがわかるのである。」[9]

翌日、ペトロは他の信者とともにカイサリアに出発し、次の日に到着しています。その際に、コルネリウスは自分にとって大切な人々を集めて待っていました。ペトロが必ず来ると信じていたのでしょう。おそらく、神が示したからにはそのことが必ず実現するという強い信仰を持っていたと思われます。

25節にあるように、ペトロの到着時に、コルネリウスはペトロの足もとにひれ伏して拝みました。「ペトロがそれまでにこのような最高の待遇をうけたことは、たぶんなかったであろう。」[10] コルネリウスは、彼が神そのものからの使いだと思ったからでしょう。「彼の信仰がどのようにすばらしくても、彼にはなお重要な一つのものが欠けていました。それは、イエス・キリストです。」[11] そこで、ペトロはそうした態度の中に残っている人間重視を否定しました。人間は人間なのです。ペトロの言葉は、大変に謙虚なもので、「わたしもただの人間です」と告げたのです。ペトロのように目ざましい奇跡を起こす人が、これほど冷静でいられるのはやはり「霊」の働きです。能力が高ければ高いほど、人間は高慢な悪魔の誘惑の策略に負けてしまいますが、それを防いだのが「霊」の働きでした。使徒言行録を学ぶという事は、この「霊」の働きを学ぶことにほかなりません。

コルネリウスの家には多くの人々が集って、ペトロの到着を待っていました。そしていよいよ主賓の到着です。そこで、主賓が挨拶します。この時点で、ペトロは自分が見た奇妙な幻の意味を十分に理解していました。そこで、28節以下の言葉を語ったのです。ペトロはもはや、異邦人たちとの交わりを恐れていませんでした。神にあって、聖いとか汚れているということが廃止されたのです。「ペテロが皮なめしシモンの家に泊まった時、すでにこの壁は越えられていました。」[12] これはつまり、ユダヤ教の古い戒律が終わったという事を意味します。イエス様の、十字架と復活によって聖書の預言が成就し、人々は最早、古い戒律に縛られる必要はなくなったのです。新しい時代が到来したのです。ただ、ペトロには何故、彼がコルネリウスの家に招かれたのか理解できなかったのです。

30節にコルネリウスの答えが書いてあります。それはまさに彼が見た幻のことでした。二人の出会いまでに4日間かかっていることも事実です。そして、コルネリウスは言いました、「わたしたちは神があなたに命じられたことを聞こうとしています。」ただ、この部分も注意して読むと、そこには敬虔な態度が示されていて、ペトロの言葉を聞く際にも「神の前にいるのです」と語っています。敬虔な態度と知的な態度とは同じではありません。「信仰に関する限り客観的な信仰などというものはありません。客観的な態度は、いつでも傍観者的なものの見方をし、教会の一員であるという意識を忘れて、いつでも第三者的に無責任な批判をしがちです。そしてこのような人は、いつしか教会の群れから落ちていってしまいます。」[13] ここで、目の前にいるのは間違いなく使徒ペトロですが、彼をカイサリアに導いたのは、まぎれもなく「霊」であり、この出会いの状況の中に神が臨在することをコルネリウスは強く感じていたのです。「神の前にいる」ことを信じる人は幸いであると痛感する場面です。「この付加的な表現は、教会の礼拝も同じであるが、人々が福音を聞こうとして集まるときに、まさにそれは神の前でなされているということである。」[14] そして、この出来事が、パウロの異邦人伝道の大きな礎となっていったのです。

[1] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980年、382頁

[2] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、103頁

[3]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、136頁

[4] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、154頁

[5]  前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、138頁

[6] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、696頁

[7] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、104頁

[8] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、158頁

[9] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、698頁

[10] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、222頁

[11] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、388頁

[12] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、153頁

[13] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、393頁

[14] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、189頁

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