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ペトロは人間の誠実さの限界と神の摂理の偉大さを知った

使徒言行録10章34節48節   文責 中川俊介

不思議な出会いにペトロは導かれました。考えてみると、わたしたちも様々な出会いを通して今日の自分があるのではないでしょうか。それを、単なる偶然と見るかそれとも神の摂理のなかでの出来事として見るのかで、わたしたちの人生理解は違ってくることでしょう。さて、34節にあるようにコルネリウスの家に着いたペトロは、彼を待っていた人々の前でおごそかに福音を告げました。彼自身はユダヤ人と異邦人の区別を軽視しない、いわば保守的な考えを以前に持っていましたが、福音においてはその違いが廃棄されたと心から知ったのです。「神の世界にはそうした、隔ての壁はありません。」[1] あの天から降りてきた禁じられた食物の幻が、まさにそのことを意味したのです。彼は人種や、性別、良い人悪い人などの、人為的な区別を廃止する神の国の入り口までたどり着いたのです。しかし、35節を見ますと、まだペトロは「正しいことを行う」つまり義をなすことを、受け入れられる条件にしているように感じられます。これは、イエス様が罪人を受け入れるためにこの世に来られたという事はまだ十分に理解できなかったためでしょうか。「このように正しい行いを賞賛することによって、決して罪の赦しを非難する機会が与えられているわけではない」[2]、という意見もあります。ただギリシア語原文の意味からみると、「義には一般的な広い意味もあるが、ここではもっと具体的な意味を持たせた方が適切であり、コルネリウスの行っていた慈善の働きを示すと考えてよいだろう」[3]、という考えも出てきます。皆さんはどう考えますか。

続いて、36節から、ペトロはイエス様の働きについて述べます。イエス様は神によって定められ、聖霊の働きによって聖別された方でした。「イエスは平和の福音を告げただけでなく、イエス自身が平和の福音そのものでした。」[4] その聖別のしるしが37節にある洗礼だと思います。わたしたちの洗礼も聖別として考えてよいでしょう。そして、イエス様はイスラエル全土を歩き巡り、悪魔に支配されていた人々を解放しました。悪霊の支配は一言でいえば、人が自己中心に生きていて他者を心の中から排除することですから、神がその人と共にいてくださることによって、その孤立性が解消し、罪から解放されるのは当然と言えるでしょう。38節後半の記事は、おそらくイエス様と伝道旅行したペトロの実感だったと思いますが「悪魔に苦しめられていたひとをすべて癒された」と強調してあって、一番身近な者からみても、イエス様の働きが偉大だったとわかります。それは、「油注がれた者」つまり、メシアの働きでした。わたしたちの一番身近な存在である家族の者がわたしたちについてどのように言うだろうかと皆で考えてみましょう。それはイエス様の場合は、ペトロの説明によれば、「神が御一緒だった」からです。ここでもペトロは、イエス様の素晴らしい働きをイエス様の人間的な側面に帰すわけではなく、神の御臨在、聖霊の働きに帰していることがわかります。わたしたちはともすれば人間に注目しやすいものですが、ペトロはこの点では決して迷ってはいません。

39節以下に、ペトロの証しが出ています。思えば、使徒言行録自体が聖霊による証しの書物ではないでしょうか。ペトロは居並ぶ異邦人に向かって、自分たちがイエス様の出来事の証人だと伝えました。証人の事を複数形で述べていますので、これは決してペトロ一人だけのことではなく、初代教会のメンバー、つまりイエス様の弟子たちによる証しがあったことがわかります。何といっても、理念や理想は困難の中で消え去るものですが、実際に体験したことは生涯残るものでしょう。ペトロはそうした形で福音の宝を持っていたと言えます。「この神の喜びの音信は、悔い改めよ、という命令ではありません。これこれのことを行なえと言うことでもありません。喜びの音信は、神があなたを、ほかならないあなたを、背き、離れるあなたを恵みたもうという音信にほかなりません。」[5] わたしたちが信仰によって神に導かれているのも、その宝を受けるためではないでしょうか。わたしたちは恵みをどの程度実感しているでしょうか。皆で話してみましょう。

39節にある証人の件では、ペトロは特にエルサレムでの体験を強調しています。イエス様との3年間の生活よりも、エルサレムで過越祭を迎え、イエス様ご自身が罪の犠牲の捧げものとして木にかけられ(申命記21:22)命を捨てられたことの重要性を忘れてはいけないのです。わたしたちも、イエス様が愛の人だったとか、正しい人だったという事を考えるのは自由ですが、そうした倫理的な判断が、エルサレムでの贖罪の出来事以上に重要視されることには注意しなくてはなりません。

そのエルサレムでの最重要な出来事とは、イエス様の架刑、そして復活です。そして、その復活は人々の前に示されたことでした。そこまでは、わたしたちも理解できることです。しかし、41節以下はどうでしょうか。イエス様の救いの出来事は、限られた者、神が前もって選んだものに現されたというのです。それを、ペトロは「イエス様とともに食事をした者」と言う形で限定しています。もしかしたら、聖餐式の深い意味もこんなところにあるのかもしれません。「イエスは誰にでも現れたわけではなく、彼の弟子たちに対してさえも、一緒にパンを裂き、食事をとるまでは目に見えなかったのである。」[6] 食事をするとは、親密な関係になったということと、今も復活して生きておられる主のことを意味します。そして、このことが偶然ではなく、神の摂理によるものなのです。キリスト教ではこの伝達の形が一貫しているように思います。少数から多数へ、ということです。あたかも小さな一粒の種が多くの実を結ぶように、資金や計画や知識によらずに伝道は進んでいきます。

42節には、二つの事が強調されています。イエス様が神の定められた審判者であること。そして、弟子たちは、そのことを強く証すべきであること。そして、重要なことですが、43節にあるように、このイエス様こそ聖書が預言していた救い主であり、信じる者に罪の赦しをもたらす方なのです。「すべて彼を信じる者が彼の名によって罪の赦しを得ることは旧約の預言者たちの証するところであることを、諄々として説いた。」[7] ここでも、ペトロは個人の思惑を超えた神の摂理、あるいは神の経綸を強調します。もし、救いというものが、個人の決断や、道徳によるのならば、それが変節するときには救いの根拠も消えてしまうものです。また、ユダヤ教の宗教観も越えていました。「ペテロはユダヤ教の贖罪観、つまり祭司が罪の赦しのために犠牲を捧げる、ということの有効性にたいして大胆に異議を唱えたのである。」[8] ペトロもおそらく、昔は個人の善行などに救いの根拠を見ていたことでしょう。しかし、イエス様のことを三度も知らないと嘘をついてしまったことなどから、自分ではない摂理の意味を知るようになったのでしょう。コルネリウスの家で証ししたペトロはもはや昔のペトロではなく、聖霊によって導かれたキリストの証人でした。そして、この罪の赦しは誰にでも信じる者に無条件に与えられる神の偉大な恵みなのです。「罪に悩み、罪の奴隷となっているわたしたちにとって、この罪の赦しの福音こそ、ほんとうの福音です。」[9]

44節から場面が変わります。それまでは、ペトロの証しでした。その話の中では、コルネリウスの家に集まった人々が、神の摂理に入れられているのか否かは判断できません。彼らは神の恵みの外におかれた異邦人なのです。ところが、ペトロも受けた聖霊が、コルネリウスの家の異邦人グループにも降ることになりました。「ペテロといっしょに来ていたユダヤ人の信者たちが、それを見ることができたということは、そこに外的なしるしが伴ったからでした。」[10] いわば異邦人のペンテコステです。あの幻が示したように、異邦人をも神の恵みに入れるのが神の摂理だったのです。これは、ペトロの話を聞いた時ではなく、「御言葉」を聞いた時に起こったと書かれています。「聖霊が降ったら説教を続けることはいりません。」[11] ここに説教の意義も隠されています。皆さんはどう考えますか。おそらくペトロは旧約最初の預言などから引用しつつ「御言葉」を語っていたことでしょう。「御言葉」が命を持つとき、受肉こそが聖霊降臨の時でした。

45節を見ますと、ペトロに随伴してきたユダヤ系の信者がこの聖霊降臨に驚いたことがわかります。彼らは神の恩恵を受けるのはユダヤ人に限定されていると思っていたからです。それなのに、コルネリウスの家に集まった人々も、あのペンテコステの日と同様に異言で語り始めたからです。これは、聖霊が降った証拠だと考えずにはおられなかったでしょう。これもまた、最初のペンテコステを経験した者だからわかったのです。

47節で、ペトロは異邦人に洗礼を授けることを提案します。「異邦人が聖霊のバプテスマを受けたので、水のバプテスマを受けるにふさわしい者となったのである。」[12] ユダヤ教に改宗するにはかなり煩雑な手続きが必要だったと思います。しかしこの場合は違っていました。フィリポがエチオピアの高官に洗礼を授けたのと似ています。その場で決断、その場で実践です。ただし、その前にも、神の摂理による遠大なご計画があることがわかります。ペトロも、これは神の計画だから人が妨げることができないと言いたかったのでしょう。そして、集まった人びとには、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるように要望しました。「この際に、コルネリウスが割礼を受けるべきだと提案した者はなかったように見える。」[13] ユダヤ人も異邦人もイエス・キリストを主と信じることで兄弟姉妹として結ばれたのです。これは現代の教会にとっても大切な点です。自分たちが同質になるのではなく、多様性の中で同じ主を仰いでいるのです。教会がこの一点を失うと、人間の集まりと堕してしまいます。

さて、その後、ペトロたちはコルネリウスのたっての願いによってなお数日間、滞在を延長することになりました。ペトロがユダヤ人でありながら禁止された行為である異邦人の家に滞在するという事は、律法の規定を知る当時の人々にとっては大きな意味のある事でした。福音は実践されていったのです。

[1] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、163頁

[2]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、142頁

[3]  F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、225頁

[4] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、109頁

[5] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、163頁

[6] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、110頁

[7] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、700頁

[8]  前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、111頁

[9] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980年、402頁

[10] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、401頁

[11] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、165頁

[12] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、194頁

[13]  前掲、F.ブルース「使徒言行録」、231頁

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